フィレンツェだより
2007年4月20日



 




城壁のある丘の風景



§最大の娯楽

今日も観光はしていない.


 先週の土曜日にアカデミア美術館で享受した幸運を,今度はウフィッツィ美術館にも期待して,明日は早起きして,ウフィッツィの傍を通り,もし空いていたらそのまま潜り込み,だめなら去年9月に行って感動したパラティーナ美術館に行こうと相談がまとまった.

 今日は,それに備えて体力の温存をはかっている.

 上の写真は先日ミケランジェロ広場に行った時に撮ったものだ.この頃から春の日差しになり,街には半袖の人たちも見かけるようになった.私たちも暑いと思うときもあるが,日かげに入ると涼しいし,教会を拝観させてもらった時などは,石造りの堂内にいてひんやりとしてしまうので,なかなか薄着に踏み切れない.

 しかし,日なたが夏のような陽気になるときもあるので,2階建ての観光バスに乗った人たちなどは,ほとんど真夏のような格好をしている.寓居の前のバス通りをこの派手な2階建てバスが通過することもある.

 下の写真は青銅のダヴィデ像をバックに,ミケランジェロ広場で撮ったものだ.実はダヴィデの頭の上に鳩が止まっているのだが,残念ながらこの写真ではよくわからない.

写真:
賑やかさをふりまいていく
2階建て観光バス


 普通広場という時のピアッツァは三方を壁で囲まれたところで,ミケランジェロ広場のような開空間はピアッツァーレと言うと辞書にはあるらしい.


サン・ガッロ書店
 午前中,家で一仕事した後に,少し外出し,先日の古書店に行ってみた.サン・ガッロ通りの「サン・ガッロ書店」と言うようだ.小さいが堂々たる風格の店である.

 古典の棚は充実しているが,一部は高いところにあって,梯子がかけてある.「梯子を使って棚の本を見ても良いか」と聞いて,今日は後ろの列に隠れている本まで全部見た.この間と同じように,昼休みの始まる1時が迫っていたので,少し気持ちが焦ったが,とりあえず何冊かほしい本を選んだ.

 アリストテレス『アテナイ人の国制』(1999),アリストパネス『蛙』(1996),『女の議会』(1984),アポロニオス・ロディオス『アルゴ船物語』(1986),プルタルコス『対比列伝』(デモステネスとキケロ)(1995),ルクレティウス『事物の本性について』(1990),ウェルギリウス『農耕詩』(1994),オウィディウス『悲歌集』(1993),ユウェナリス『諷刺詩集』(1960)で,すべてミラノの書店から出た同じシリーズだ.

 この叢書はイタリア文学のものは神田のイタリア書房にもあるから,特に珍しい本というわけではないが,“本は出会い”なので購入することにした.ルクレティウスだけがハードカヴァーで,隣に同じ本のペーパーバックもあったが,そんなに値段は変わらなかった.キケロの書簡集抜粋(フィレンツェ,1996)には猛勉強の跡があった.


オウィディウス『女性の化粧術』(ヴェネツィア,1985)は,短い作品への詳注付きで,これが今回の最大の成果(左写真)だと思う.
これにも猛勉強の痕跡があって,イタリアの秀才ではない標準的な学生がどのように勉強するか,貴重な(?)資料になる.



 プロペルティウス『恋愛詩集』(ミラノ,1990)の廉価版の対訳・詳注版,ラテン語の文法を終えたばかりの学習者が読むことになっているコルネリウス・ネポス『英雄伝』の,原文はないが,ハードカヴァーで詳注つきのイタリア語訳(ミラノ,1980)も買った.後者は古典としての価値は低いが,本の内容が豊富なので得した感じがある.

 クレジットカードが使えると外に書いてあったが,とりあえず確認して,良いと言うことなので,カードで買った.計13冊65ユーロ(1ユーロ170円換算で1万1千50円)だった.ついに先日のセザンヌ展のカタログを越える金額の買い物をした.

 まだプラトンの『ゴルギアス』,『ティマイオス,』,アリストテレスの『詩学』,ウェルギリウス『アエネイス』の巻別注釈本,アプレイウスの対訳・注解本などがあったので,それらは欲しい.メナンドロスの『サモス島の女』は注釈のない希伊対訳のみだったが多分買うことになると思う.イタリア語訳だけのものは私には必要度は低い(訳は欲しいが,訳で使うほどはイタリア語ができない)が,日本では買えないし,情報も少ないから,ものによっては買うかも知れない.

 やっぱり私には古本屋廻りが最大の娯楽だな,とつくづく思った.破産しないように気をつけよう.





本日の渉猟の成果