フィレンツェだより |
ピサの斜塔 「奇跡の広場」にて |
§ピサの旅
なにしろ有名な斜塔に登るためにはインターネットで2週間以上前に予約しないといけない.予約料(必須)も含めて1人15ユーロは高いなとも思ったが,一生に一度「ピサの斜塔」に登ってみるのも良いだろうと,思いついたのが2週間まえだった. フィレンツェからピサへは「ピサ空港行き」のローカル線に乗り,ピサ中央駅で降りるのが一般的なようだ.私たちも,8時58分発のピサ空港行きに乗りこんだ. しかし,時間になっても電車が出ない.アナウンスでは車両故障のようなことを言っていたようだが,結局,乗り込んだ電車が出たので,かすかに聞こえた「ショーペロ」(ストライキ)の影響ではないかと想像する.30分遅れの発車となったが,その時刻に出る予定だった別のピサ空港行きの便は運休になったようだ. 同じ西方向でもピストイア,ルッカ方面とはまた違う,鄙びたトスカーナの秋の風景を車窓から楽しんだ. エンポリ(フィレンツェで活躍した画家ヤコポ・ディ・キメンティの父の出身地で,彼の通称にもなった)を過ぎたあたりから,所々で工場と集合住宅を見かけるようになり,乗客の中に定住外国人の姿が多くなるように思えた.
![]() 路線バスを利用するときは,時間に余裕を見ておくことが必要だろう.電車もそうだ.遅れた「ピサ空港行き」の電車の中でも,地元の人たちがイライラしながら時計を見ている様子を見たが,「空港行き」だからではないかと想像している.友人なら携帯電話で,「電車が遅れた」で済むが,飛行機は待ってくれない. しばらくまごまごしたが,親切な地元の年配の女性に教えられて,なんとか目当てのバス停にたどり着いた.すでに何人かの人が待っており,“斜塔に行くにはラム・ロッサ(LAM Rossa)のバス”という貼紙を見て,一安心していたが,奇妙なことにその貼紙はまもなく外された.そのとき,バスが来ないのを怪訝に思った人が,バス停の時刻表に掛けられていた「お知らせ」をひっくり返した.ショーペロ(ストライキ),と書いてあった. 駅前で走っているバスも見かけたので,減便運行しているのではないかと思ったが,歩けない距離ではないので歩くことにした.おかげで,途中アルノ川(フィレンツェを流れている川はピサの過ぎて海に出る)を渡る時,予定外の可愛い教会を見ることができた.サンタ・マリーア・デッラ・スピーナ教会である. ゴシックの宝石箱 この教会は,多くのガイドブック等で「砂糖細工のような」(『地球の歩き方』)などと形容されて,写真で紹介されている.要するに小さくて可愛らしい建物ということなのだろう.いずれにしても,あまり関心を払っていなかったので,実物を見て驚いた. 天を目指して大きいことに意味があるであろうゴシック様式でありながら,かくも小さい教会というのは初めて見た.もともと祈祷堂で,後で教会になったらしいが,1.5ユーロの拝観料をとって観光客に公開している様子は,現役の教会と言うよりは,観光ポイントになっているかつての祈祷堂に思えた.
中には,トンマーゾ・ピザーノなどの聖人像,聖母子像があり,いきなりピザーノ(ピサーノ=ピサ出身)という通称の芸術家の実力を見せつけられる. 後でガイドブックやウェブページで確認すると,外側の彫刻や装飾も,フィレンツェでも活躍したアンドレーア・ピザーノのとその息子たちであるニーノとトンマーゾ,ルーポ・ディ・フランチェスコ,ジョヴァンニ・ディ・バルドゥッチョや,彼らの工房の作のようなので,ニコラ・ピザーノとジョヴァンニ・ピザーノ以外のピサの彫刻家たちを知るには良い場所と言えるだろう.何よりも,可愛いという感じが,私たち日本人の共感を誘うと思う. 「奇跡の広場」 アルノ川を渡り,「ローマ通り」という,少し名前負けかと思うようなひっそりとした通りを歩いて,ピサ大学の校舎を横目に見ながら,ドゥオーモ広場に着いた.少し前から有名な斜塔も見えていた. ドゥオーモ周辺はその美しさから「奇跡の広場」と言われるそうだが,なるほど,巨大な建造物群の白と,陽光輝く芝生の緑のコントラストが美しい.好天に恵まれるかどうかでこの広場の印象は相当変わるだろう. この日,「霧」の予報が出ていたフィレンツェでは小雨が降っていたし,ピサは「風が強い」という予報だったが,斜塔の予約があるので,もちろん中止という選択肢はなかった.実際,着いてみるとピサは晴れていたし,風もさほどではなかった.私たちは幸運だった.
まずビリエッテリアに行き,インターネットの斜塔の予約完了のお知らせのコピーを提示してチケットを入手した.パスポートが必要と注意書きにあったので持参していたが,提示は求められなかった. ドゥオーモ 予約の1時まで,まだ時間があったので,先にドゥオーモを拝観することにした.さすがに,中世に栄えた都市国家のドゥオーモだ.立派な外観と大きな堂内,イタリアでたくさんの教会を見てきたが,それでも圧倒される.遠くに一部にチマブーエの手が入っている大きなモザイクが見える.
![]() 同じくジョヴァンニの作品であるピストイアのサンタンドレーア教会の説教壇を見て,私たちはこの種の芸術に開眼したわけだが,ピサのドゥオーモの説教壇も立派ではあるが,ピストイアで開眼したときの感動は,この後に拝観した洗礼堂の方にある父ニコラ作の説教壇から与えられた.
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に拠れば,右側廊の作家にはクリストファノ・アッローリ,アンドレア・デル・サルト,ジョヴァンニ・アントーニオ・ソリアーニ,パッシニャーノ,ジョヴァンニ・ビリヴェールトの名前が見える.フィレンツェの画家たちだ.左側廊にはヴェントゥーラ・サリンベーニの作品があった.シエナの画家だ. 今回は遠目にしか見られなかったが,後陣の壁面の絵の作家陣はたいへん豪華で,デル・サルト,ベッカフーミ,ソドマとなっている.やはりフィレンツェとシエナの大物画家たちとその周辺の人々が来て,かなりの点数の絵を描いたのだろう. ガイドブックに見るその他の画家たちはピサの美術館や教会にも見られるようなので,「地元の画家」だろうか.まだ勉強していない.
![]() 私たちが入ろうとしたら,日本語で「帽子とってください」とにこやかに言われた.あれっ,いつも忘れずに脱ぐのにうっかりしていた.こちらも思わず日本語で「すみません,忘れてました」と言ってしまった. 洗礼堂 奇跡の広場周辺の見所には共通券がある.私たちは洗礼堂,カンポ・サント,シノピエ美術館,ドゥオーモ美術館の4ヶ所で1人8ユーロの共通券を購入していた.ドゥオーモを見終わっても斜塔の予約時間まで,まだ少し時間があったので,洗礼堂も先に拝観することにした.
![]() たとえば,「イエスの誕生」のパネルでくらべてみると,ニコラもジョヴァンニも「受胎告知」と「牧人礼拝」の物語を「誕生」と同じ一面のパネルに描いている(1.ニコラ/2.ジョヴァンニ)が,細密な造形では息子に軍配があがるとしても,おおらかなゆとりのようなものを感じさせるニコラの彫刻を見て心魅かれる人も多いのではないかと思う. 現に,ツーリストの男性がこれを見て感激し,しまっていたカメラをバッグから取り出し,その前を動かず,私たちはなかなか写真を撮らせてもらえなかった.お互い様だからしょうがないか.
傾斜を体感する 1時前にカメラを除くすべての荷物をロッカーに預け,斜塔入口の前に集合した.集まった人数は定員の40名より若干少なかったようだ. 螺旋階段は思ったより広かった.場所によって体の傾きが変わるので,上りながら塔が傾斜していることを体感することができる. 斜塔はそれほど高いわけではないが,ピサが平地にある町なので,周辺の平原の眺めは良い.風と傾斜が少し怖いが,危険と言うほどのことはない.「え,ピサの斜塔?」とか思わずに(実は私は思っていた),ピサに行ったら是非登った方が良い.2週間前のインターネット予約を忘れずに. その日の天気は運次第だが,嵐でなければそれなりに楽しめるだろう.
カンポ・サント(「聖なる野」=墓地) ピサに行きたかった理由の一つが,カンポ・サントでスピネッロ・アレティーノのフレスコ画が見られるということだった.結論を先に言うと,スピネッロのフレスコ画は見られなかった. ![]() ここは戦災で大きな被害を蒙った.もとは壁面に多くのフレスコ画があったが,それらの芸術作品は爆弾による火災で殆ど失われてしまった.一部が残ったものの中には無名の画家の作品もあるが,タッデーオ・ガッディ,スピネッロ・アレティーノ,ベノッツォ・ゴッツォリの作品もある.
![]() この親方の絵が特に優れているとは思えなかったが,何と言っても奇跡的に残った部分の大きさに驚くし,様々な死の場面や,地獄の描写,大きな「最後の審判」の絵など人の目をひきつけるものはある.地獄行きを宣告された人々を追い立てる天使が出色に思える.
で,肝心のスピネッロたちのフレスコ画の前には足場が組んであって,垣間見ることしかできなかった.絵柄の一部はウェブページで確認していたが,いくら見てもそれらしいものを見つけることはできなかった. この後に行ったシノピエ(複数形)美術館で,シノピア(単数形)とその解説を見て場所も確認することができたし,タッデーオ・ガッディの描いた人物などは拡大すれば確認できることがわかったが,いつのことになるか分らないが,縁があれば,足場の無い状態でもう一度見てみたい.
![]() 途中,サン・フランチェスコ教会に寄った.事前にチェックしたケルビーニ&バンディーニ本によると,ここにはスピネッロの「キリスト磔刑と聖人たち」があることになっており,インターネットではこの情報を確認できなかったが,いずれにせよ,この教会にはタッデーオ・ガッディ,タッデーオ・バルトロ,ニッコロ・ディ・ピエトロ・ジェリーニなど私が好きな画家たちの絵があるようなので,是非拝観したかった. 教会に着いたときには4時をまわっていたが,まだ開いていなかった.日帰りの旅なので開くのを待つ余裕がない.仕方なく次回を期すことにして,サン・マッテーオ国立美術館に急いだ. サン・マッテーオ国立美術館 ここにシモーネ・マルティーニの多翼祭壇画,フラ・アンジェリコの「聖母子」,マザッチョの「聖パウロ」他,ゴッツォリ,ギルランダイオの絵があることは『地球の歩き方』にも情報があり,大いに期待していた. ゴッツォリとギルランダイオについては,とても本人の作とは思えないほど期待はずれだったが,シモーネ・マルティーニ,フラ・アンジェリコ,マザッチョの作品はいずれも素晴らしいものだった.特にシモーネの「聖母子と聖人たち」は照明が反射して見えにくかったが,傑作であることは良くわかった. 他にもリッポ・メンミとその可能性のある作品が計3点,アーニョロ・ガッディの板絵が1点,ビッチ・ディ・ロレンツォとその可能性のある作品が2点,これらはいずれも心を打つ作品だった.数少ないリッポの作品が見られたのは嬉しかったし,シエナ派ではタッデーオ・ディ・バルトロも何点かあった.
この3点のうち,妻は「聖母戴冠」を評価すると言っていたが,私は小さな「聖母子」のキリストの顔に不満は残るが,聖母の顔が美しかったので,これを評価したい.いずれにせよ,後で確認したイタリア語版ウィキペディアには情報があったが,予備知識なしにスピネッロに出会えたのが良かった. ネーリ・ディ・ビッチの「聖母戴冠」は,この人が「平凡で才気を感じさせない」と言われるのがわかるような気がする作品で残念だった.同主題のスピネッロの作品にはあるように思える気品と気迫がこの人の絵には欠けている. スケッジャの絵もあった.アカデミア美術館と同様「長持」の板面に描かれたもので,特に良い絵とは思わなかったが,ネーリと違い,スケッジャは見られたこと自体が幸運だと思った. ミケロッツォ,ドナテッロなどフィレンツェの彫刻家の1点ずつの作品だけでなく,それよりも前の時代のピサの彫刻家の作品あったが,直前に行ったドォーモ美術館の方が傑作が多かった.ニコラ・ピザーノの弟子ではアルノルフォ・ディ・カンビオ,ティーノ・ディ・カマイーノなど,この系統から出た彫刻家は芸術家の名に値する.
旧修道院にあるこの広い美術館に,見学者は私たち2人だけだった.係員の姿すら,どこにもなかった.私たちが目にしたのは,入口のビリエッテリアにいた高齢の男性一人きりだ.もちろん監視カメラはあったが.この日は貸切状態を幸せと思うより,寂しい感じがした. 日本の絵画ファンの皆さんは斜塔のインターネット予約をしてピサに行き,「奇跡の広場」で幸福感に浸り,時間に余裕を持って是非サン・マッテーオ国立美術館を訪ね,シモーネ・マルティーニ,リッポ・メンミ,フラ・アンジェリコ,マザッチョ(と,私の趣味でスピネッロ・アレティーノ)を鑑賞してほしい.
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5時28分発フィレンツェ中央駅行きのローカル線電車は定刻通り発車した.帰りは満員だった. |
斜塔の上で 風に吹かれて |
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