フィレンツェだより |
シエナのシンボル「牝狼と双子」 ドゥオーモのファサード前の柱頭 |
§シエナ再訪
今回は,9時10分の急行(ラピーダ)でシエナに向かい,着いたら最初に昼休みのある大所の教会サン・フランチェスコ教会(12時まで)に行き,次にサン・ドメニコ教会(1時まで)を拝観し,その後,前回時間切れで回れなかった国立絵画館をじっくり見て,まだ時間があれば,夕方再開する1,2の教会を拝観させてもらうという計画だった. 天気と時間帯が良いので,バスは混むことが予想された.駅前にあるSITA社のターミナルに着くと,すでに乗り場には「シエナ,急行」とあるバスが入っていた.妻がビリエッテリアで乗車券を買っている間に席を確保しておこうと,すぐに乗り込んだが,実はこれは予定の1本前の8時50分発のバスで,私が乗り込むや否や動き出し,慌てて降ろしてもらう羽目になった. 各時間帯,10分(急行),40分(普通)にシエナ行きが出ると覚えていたが,この時間帯は特別に50分の便があったらしい.もちろん次の9時10分も急行だったので,予定通り,無事シエナに向かうことができた. 混雑する時間帯の便だからなのか,2階建ての車両だった.おかげで2階から秋のキャンティ渓谷の美しい風景を堪能できた. サン・フランチェスコ教会 交通渋滞のせいで少し遅れたが,10時半を少し過ぎた頃にシエナに着き,すぐにサン・フランチェスコ教会に向かった.旧修道院の一部が大学の施設になっていることもあり,若い人が多く歩いているように思えたが,いずれにしてもメイン・ストリートを外れると,少し寂しいくらいの人通りだ. 堂内は,夕方暗くなってから訪れた前回に比べると,格段に明るかったが,それでも目当てのアンブロージョ・ロレンゼッティのフレスコ画のある奥の翼廊はかなり暗かった. フランチェスコ派の教会の通例通り,側廊なしの身廊のみの単廊式で,奥に左右の翼廊があるT字型である.したがって,側廊の礼拝堂のような形ではなく,身廊の左右の壁面に祭壇があって,そこに絵が展示してあるようにみえる.もちろん宗教画だけであるし,あくまでも祈りの場だが,一見すると美術館のような展示だ.身廊の左右で見られる大きなカンヴァス画も悪くない.
上の写真で一番手前にあるピエトロ・ダ・コルトーナの「聖マルティナの殉教」は,なかなかの力作に思える.17世紀の画家で,フィレンツェでもパラティーナ美術館やサン・ガエタノ教会で作品が見られるし,ローマでもカピトリーニ美術館をはじめとして,あちこちで作品を見ることができる. 私たちはまだこの画家の作品に関して開眼していないが,評価の高い芸術家のようである.
他には,フィレンツェで生まれてローマなどで活躍したヤーコポ・ズッキ(伊語版ウィキペディア),「地元の画家」たちと言うべきピエトロ・ソッリ(1556-1622),アレッサンドロとイラーリオのカゾラーニ兄弟(1552-1607,1558-1661,弟は100年以上生きたことになるが本当だろうか),ヴィンチェンツォ・ルスティカーニ(1157-1632),ジュゼッペ・ニコラ・ナズィーニ(1657-1736)などの絵が見られた.少なくともソッリとナズィーニについては幾つかの教会で作品が見られるようだ.いずれも技量が上がった時代に大きな絵を任された堅実な画家に思えた. 古い絵では左の壁にジローラモ・ディ・ベンヴェヌートの剥離フレスコ「キリスト磔刑と聖ヒエロニュモス」(美少年のヒエロニュモスはめずらしい),右の壁の壁龕型小礼拝堂(エディコラ)アンドレーア・ヴァンニの「聖痕を受けるフランチェスコと聖人たち」の剥落したフレスコ画その他があった. 左翼廊の1つ目の礼拝堂には,ピエトロ・ロレンゼッティの「キリストの磔刑」がある.色落ちが進んでいるが見応えがあったし,4つ目の礼拝堂のヤーコポ・ディ・ミーノの保存の良い「聖母子」も美しい絵だった. ![]()
フランチェスコ会士の殉教は,パドヴァの聖アントニウスがフランチェスコ会に入会する契機となった事件である.それぞれの修道会にとっては,開祖と殉教者と出身の聖人が心の支えであろう.ドメニコ会で言えば,「ドメニコ,殉教者ペテロ,シエナの聖カタリナとトマス・アクィナス」であろうし,フランチェスコ会でそれに対応するのは,「フランチェスコ,殉教した会士たち,パドヴァの聖アントニウスとシエナの聖ベルナルディーノ,ボンヴェントゥーラ」,ということになるだろうか.イタリア以外の出身で学問の世界で活躍した思想家として前者にはアルベルトゥス・マグヌス,後者にウィリアム・オッカムを挙げることができるだろう.対応する人物が容易に思いつくのは,それだけ2つの修道会が栄えたと言うことだろう. イスラム教徒に布教しに行って,モロッコで殺された会士たちの絵を見る機会はあまりないように思うが,少なくともヴェローナのサン・フェルモ・マッジョーレ教会で剥落の進んだフレスコ画を見た.パドヴァの聖アントニウスについて整理したとき,その写真を紹介している. ![]() 彼は,イタリアで父がアラゴン王家の捕虜となったため,その代わりの人質としてアラゴン王家の領地だったバルセロナに送られ,そこでフランチェスコ会修道士に教育を受けた.兄が亡くなったとき,伯爵位の継承権者であったが,ローマで教皇に封建領主の相続権を放棄し,フランチェスコ会の清貧を守ることを誓った. この絵は多分,その時の「誓い」の様子を描いている.フランチェスコ会で重んじられる聖人で,絵に描かれるときは,聖職者の格好の少年が王冠を足蹴にしている姿で描かれることが多いらしい.シモーネ・マルティーニもこの聖人を描いた祭壇画を描いているようだ.
![]() クリスマスが近くなってきたこの季節,いろいろな店で,プレゼピオの人形や装飾が売られているのを見かける. 聖カテリーナ サン・フランチェスコ教会を辞して,反対側の丘にあるサン・ドメニコ教会に向かった.途中カンポ広場の近くに商人の開廊(ロッジャ)と言われている建物がある.柱の聖人像はヴェッキエッタの作とのことで見事なものだ.
![]() この聖カテリーナ(以下,「シエナのカタリナ」は聖カテリーナと表記する)が他の聖人に比べて少しわかりやすいのは,アヴィニョンにあった教皇庁をローマに戻し,カトリック教会の分裂を解消しようとする政治的な活動を行ったことと,彼女の300通にものぼる手紙が初期トスカーナ文学の傑作と言われていることがある. 列聖された背景には,政治的な活躍に対する評価があったかも知れないが,彼女が人々の敬慕を集めた背景には,やはり彼女の信仰と貧しい人々や病気の人々への献身があるのではないか.フランチェスコ同様「聖痕」を受けたらしいことなどは,私たち異教徒の理解を超えているが,立派な人であったのは間違いないだろう. まじめで立派な人が,常に人々に受け入れられ,幸福な人生を送れるとは限らないが,そもそもカテリーナのような人にとっては,世俗的幸福は最初から問題ではないだろう.キリスト教が大宗教で,政治と不可分になっていただけに,まじめで立派な人がそれに対処するのは難しかっただろうと想像する. 聖カテリーナの聖地にある生家跡の祈祷堂やサンタ・カテリーナ・イン・フォンテブランダ教会がフレスコ画やカンヴァス画で埋めつくされている様子を見ていると,信仰と祈りを事とした本人の意思とは異なるであろうが,後世の人々の彼女への敬慕の念の大きさがわかる. サン・ドメニコ教会の聖カテリーナ礼拝堂を見てもそう思う.ソドマとフランチェスコ・ヴァンニのフレスコ画で埋めつくされたこの礼拝堂には,生前の面影をとどめる彼女の頭骨が祀られている.ソドマの「聖カテリーナの法悦」と「聖カテリーナの聖痕」は,多くのガイドブックで写真つきで紹介されている.
この教会は,聖カテリーナの聖地同様,写真厳禁なので,私たちが撮った写真では紹介できないが,アンドレーア・ヴァンニ作とされる古い剥離フレスコ「聖カテリーナ」があったほか,翼廊の礼拝堂にはピエトロ・ロレンゼッティの「聖母子」のフレスコ画があり,マッテーオ・ディ・ジョヴァンニの古い板絵「聖母子と聖人たち」,ベンヴェヌート・ディ・ジョヴァンニの「玉座の聖母子と聖人たち」がそれぞれの上に描かれたリュネット型の作品とともに雰囲気を持っていた. 身廊や翼廊にはフランチェスコ・ヴァンニ,アレッサンドロ・カゾラーニなど「地元の画家」の作品が見られたが,それらの「地元の画家」の中に,建築家,彫刻家としても知られるフランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニの「牧人礼拝」が見られたのは興味深かった.「牧人礼拝」の上にはリュネット型のマッテーオ・ディ・ジョヴァンニの「ピエタのキリスト」もあった.
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を購入した.この本の情報は大変貴重である.サン・ドメニコのブックショップには売っていなかったので,或いは古い本で,もうあまり流通していないのかも知れない. 話はそれるが,この後に行った国立絵画館には驚いたことにカタログは無かった.ブックショップを隅々まで探して見当たらなかったので,尋ねたところ「ガイドブックは無い」と言われて少し驚いた.しかし,この本を見ると,同著者,同出版社で,国立絵画館のガイドブックも出版したようである.絶版かなにかで入手が難しいのかも知れないし,あるいは書店で簡単に買えるものかも知れないが,いずれにしても落ち着いてから探してみるつもりだ. 購入した本を見ると,聖カテリーナの聖地のフレスコ画を描いた画家も,シエナの他の教会は美術館で見られる「地元の画家」が殆どのようなので,それらに関する情報源としてもこの本は有益だ. サン・ピエトロ・アッレ・スカーレ教会 サン・ドメニコ教会の前の広場の陽だまりで,昼食代わりに,フィレンツェ宮城家お気に入りの中央市場のケーキを食べ,国立絵画館の方に向かった. 途中,絵画館手前にあるサン・ピエトロ・アッレ・スカーレ教会を訪ねた.久しぶりに参照したケルビーニ&バルディーニ本(Toscana: The New Millenium)に,アンブロージョ・ロレンゼッティの板絵があると書いてあったからだ. 階段の上に入口がある小さな教会で,ファサードのリュネットには鍵を持った聖ペテロの浮彫彫刻があった.もう1時を回っていたが,幸いにも開いていた.これは本当の幸運だったようだ.
お目当てのアンブロージョ・ロレンゼッティの作品は,もともと多翼祭壇画の部分だった何枚かの板絵「聖母子と聖人たち」で,小さいが見事な作品である. これまでロレンゼッティ兄弟については,ピエトロの作品が優れていると私たちは思っていた.どちらかと言えばアンブロージョを評価するウェブページや本で予習してきた影響もあるかも知れないが,アンブロージョの優れた作品を実際に幾つか見て,彼を評価するようになったことが,今回のシエナ再訪の成果の1つだろう.
暗い堂内で下から一生懸命手を伸ばして撮った写真ではわかりにくいと思うが,右から2人目の大天使ミカエルがりりしく描かれており,現在はもう全体像を再現することができないのを残念に思う. 国立絵画館 今回のシエナ行の最大の目的,国立絵画館訪問を果たし,ドゥッチョの「聖母子」を何枚か見て,彼の影響を受けたシモーネ・マルティーニの「聖母子」,リッポ・メンミの「聖母子」などを見ることができた. ウェブページで写真を見て是非見たいと思っていたシモーネ・マルティーニの「慈悲の聖母」,アンブロージョ・ロレンゼッティの「受胎告知」も見ることができた.タッデーオ・ディ・バルトロの「受胎告知」によって,彼の実力も再認識できた.
シモーネ・マルティーニの「福者アゴスティーノ・ノヴェッロと4つの奇跡」も有名な作品だが,これについて積極的に感銘を受ける理由を見出せなかった.私たちの体調に問題があったかも知れない.
![]() しかし,私はイタリアに美術史の勉強をしに来たわけではない.古典古代の文化と格闘しながら,新しい文化を創っていったルネサンスの土壌を体感したいというのが第一の目的だ. 「シエナ派」を理解することよりも,シエナの画家たちのうち,誰が一番自分の心を打つのか,それを手がかりにして,ルネサンスの文化創成にシエナがどういう意味を持ったかを考える手がかりを得ることの方が大事だろう.何よりも自分が「うんざりとした」とか「食傷した」という気持ちを持っては,感動を人に伝えることはできないだろう. シエナの国立絵画館を見て「もういい」という感想を持った人は多いようだ.私は「もういい」とまでは思わなかったが,「シエナ派」に分類される中世末期からルネサンス初期の宗教画の展示を延々と見せられて,これを見て良いと思うためには,かなりの準備が必要で,それは非専門家である愛好者にはかなり難しいのではないかと思った. シエナの国立絵画館に行く人は,あまり欲を出さず,とりあえず,3階で,グイド・ダ・シエナ,ドゥッチョ・ディ・ブォニンセーニャ,シモーネ・マルティーニ,リッポ・メンミ,ロレンゼッティ(ロレンツェッティ)兄弟の名を冠した作品を見て,その他は,まず見たときによほど良いと思ったもの以外は飛ばして,4階のスパンノッキ・コレクションが見られるようなら(時々閉まるらしい.多分人員配置の都合かと想像する),それを見てほっと一息し,2階で,ソドマとベッカフーミの作品のうち,『地球の歩き方』など日本語のガイドブックにも載っている作品を中心に何点かだけ一生懸命鑑賞して,他の観光ポイントに体力を残すというのが得策ではないかと思う. 国立絵画館に比べると,プッブリコ宮殿の市立美術館は,シモーネ・マルティーニとアンブロージョ・ロレンゼッティ(と,私の趣味でスピネッロ・アレティーノ)の大作に焦点が絞られていると言って過言ではない.だから両方を1日でまわる人は,プッブリコ宮殿を見た後,国立絵画館に行くという順番が良いと思う.
![]() サンタゴスティーノ教会にもアンブロージョ・ロレンゼッティのフレスコ画があるとケルビーニ&バンディーニ本は教えてくれているし,サン・マルティーノ教会にグイド・レーニとグェルチーノ,ベッカフーミの絵とクエルチャの彫刻があることがわかっているが,これらの教会は4時半になっても開いていなかったのであきらめた. そのかわり,メインストリートのバンキ・ディ・ソプラ通りに面したサン・クリストーフォロ教会の扉が開いていたので,何の予備知識もなく拝観させてもらったが,ベッカフーミ,ソドマとサン・ベルナルディーノ祈祷堂のフレスコ画を共作したジローラモ・デル・パッキアの絵があった.
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シエナを囲む丘陵地帯に沈む夕陽が美しかったが,写真には写らなかった.リッチャレッリは素朴な味だが,美味だった. |
サン・フランチェスコ教会の帰り道 通りの上にも部屋 |
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