フィレンツェだより
2007年10月15日



 




「カビアンカ展」入口
バルディーニ庭園



§ローマの旅(その3) −カラヴァッジョ篇−

ローマ旅行の報告を続ける前に,その後の日常について記しておこう.


 11日の午前中は,サント・スピリト教会に行ってみたが,閉まっていたので,ピッティ宮殿の前の賑やかな通りに出て,近くの店で,ローマで被害にあって使えなくなったバッグと,掏られた2つの財布の代わりの品を調達した.


バレエ「ラ・シルフィード」
 12日の夕方は,テアトロ・コムナーレでバレエ「ラ・シルフィード」を見た.人魚姫と浦島太郎とベル・ダム・サン・メルシとイーノック・アーデンを足して割ったようなストーリーに,分りやすいロマンティックな音楽がついていて気楽に楽しめた.

 イタリアのバレエは,ロシアやフランスと比べれば最良のものではないかも知れないが,超一流の団体の上演を多く見ているわけではない私には十分以上だった.イタリアでも,演じる方,観る方の双方に相当のバレエ人口があり,層はかなり厚いように思える.

 イタリア人は西洋人の中では比較的小柄な方で,平均的なプロポーションの点からは不利かも知れないが,それでも日本人よりは頭が小さく,脚が長い.日本人も自分たちに合うバレエを模索しなければ,たまに突出した人が欧米で活躍して脚光を浴びるくらいで,日本の文化としては定着しないだろう.

 私が小学生の頃にはすでに学習雑誌にバレエ漫画が連載されていて,嫌でも読まざるを得なかったくらいだし,バレエ人口の多さと熱心さを考えると,十分に機は熟しているようにも思うがどうだろうか.

 オペラも然りだ.日本の西欧音楽受容の水準を考えると,日本人の声と容姿に合う作品と演出があれば,立派に日本の文化になり得るとも思うが,そこまで考える必要はないのかも知れない.

 オペラのときに比べれば,聴衆の反応もあっさりしていたような気がするが,様々な工夫のある貴重な上演に立ち会えたと思う.


カビアンカ展
 14日はバルディーニ庭園のヴィラで行なわれていたモストラ(特別展)を見に行った.バルディーニ美術館の方は,長らく休館中だが,庭園の方は開いている.ヴィラでモストラを見て,ついでに庭園も散策できたらと思って行ってみたのだが,最終日とあって,なかなかの混みようだった.

「カビアンカ展」は,19世紀の画家でヴェローナで生まれ,ローマで亡くなったヴィンチェンツォ・カビアンカとその周辺の画家たち(マッキアイオーリ派)の作品を集めた企画展だった.


 カビアンカに関しては全く予備知識がなかった.端整で抒情に溢れた絵で,素人目には分りやすい画家だと思う.

 ローマにいる時期に描いたパレストリーナの街の風景の絵が2枚あったが,それよりはトスカーナで描いた作品が印象に残った.ヴィアレッジョの砂浜海岸に2人の幼い子どもが並んで歩いていて,その向こうに作業小屋のような建物と,その周囲にいる様々な人々がかすかに見え,さらに遠くに山並みが見える,時間的な郷愁を呼び起こされる絵だった.

 もう1枚は,マレンマの用水路を中心とした風景画で,用水路が平野を川のように流れているというだけの光景だが,こちらは空間的な郷愁を感じさせる作品に思えた.農民が御している荷車に聖母子のような親子が乗っている絵が宣伝ポスターに使われていたが,この作品も良かった.

 絵葉書がなかったので,35ユーロのカタログを買うことも考えたが,大きくて荷物になるし,掲載写真にも満足がいかなかったのであきらめた.カビアンカという画家の名前は記憶にとどめて,機会があったらまた見てみたい.



 庭園は丘の傾斜を利用していて,麓と中腹の2箇所に入口がある.この日はベルヴェデーレ要塞のある丘へ登る道(コスタ・ディ・サン・ジョルジョ)の途中にある入口の方から入った(トップの写真).

 帰りは天気が良かったので,そこからさらに登って,サン・ジョルジョ門を越えた先の,風情のあるサン・レオナルド通りを歩いてみた.途中,サン・レオナルド・イン・アルチェーティ教会の前を通った.説明板によれば,ここにはネーリ・ディ・ビッチとその周辺の作品があるようだが,閉まっていて拝観はできなかった.

ファサードのリュネットには
教会の名祖である聖人の
新しいモザイクがあった.


 ガリレオ大通りに交差する手前には瀟洒な建物があった.壁面のプレートに「1878年にピョートル・イリイッチ・チャイコフスキーがこのヴィラに住み,仕事をした」とある.

 これで,ドストエフスキー,タルコフスキーに続いてフィレンツェに住んだ3人目の偉大なロシア人の旧居を見たことになる.時間的にはドストエフスキー,チャイコフスキーの順で19世紀後半,20世紀後半にタルコフスキーということになるだろうか.



 前置きが長くなったが,ローマの話に戻る.今回のローマ行で当初の予定になかったが,思わぬ収穫となったのはカラヴァッジョの絵をたくさん鑑賞できたことだった.

昨年のローマ旅行で,ヴァチカン美術館の絵画館で最も印象に残った作品が,カラヴァッジョの「キリスト降架」だった.


 特に宗教画に興味があったわけではなかったので,それまで「降架」という日本語の語彙は私の中になかったが,以来,イタリア語のデポズィツィオーネ,英語のディポズィションの訳語としての「降架」が,私の中に定着した.

 カラヴァッジョは,レオナルド,ミケランジェロに次ぐイタリア芸術のビッグネームだし,現代人に受けるという意味ではほとんど最高水準の画家だろう.ミケランジェロのように建築,彫刻,フレスコ画,板絵,詩と多方面に才能を発揮したり,レオナルドのように「万能の天才」だったりすると,つかみどころもないが,暗い背景の中で,光の当たった人物の表情にインパクトがあり,いかにも「瞬間」を「永遠化」した感じのする彼の作品は素人目にもわかりやすい.多分辛口の専門家も一定の評価を下さざるを得ないだろう.

 フィレンツェでもウフィッツィで4点,パラティーナで2点作品を鑑賞することができるが,「キリスト降架」ほどの作品には出会っていない.


「聖マタイ」三部作
 今回,カラヴァッジョ様のご威光にひれ伏す体験をしたのは,またしても教会だった.サン・ルイージ・デーイ・フランチェージ教会である.

 「フランス人の」という名前を持つこの教会では,ミサはフランス語で行われるそうだし,バロック風のファサードの建物の向かって右隣にはフランス語書籍専門の本屋もあるくらいで,フランスと縁が深い.

 通常の教会の作品解説はイタリア語の原文があって,それに英訳が付されているが,この教会では,フランス語の原文に伊訳が付されている.英訳はない.さすがフランス.

 ルイージとは聖王ルイのことであろうし,ファサードにはゲルマン風のカール大帝よりもフランス語でシャルルマーニュと言われることもある人物の像もあり,ともかく「フランス」を感じさせる教会だ.しかし,ジャンヌ・ダルクは良いとして,クローヴィスの像なんてのは何であるのだろう.フランク王国の開祖で,フランスはフランク王国の後継者ということだろうか.



 昼休みが終わって扉の開く4時頃に教会に着くように見計らって行くと,団体客(フランス人だった)と一緒になった.大勢は一斉に我も我もとカラヴァッジョの「聖マタイ」三部作(召命霊感殉教)(1599-1602年)のあるコンタレッリ礼拝堂に群がった.

 私たち異教徒はともかく,イタリア人もフランス人もカトリックであろうに,中央祭壇や,由緒ある十字架のある礼拝堂よりも,まずカラヴァッジョというのに驚いた.

写真:
「聖マタイ」三部作のある
コンタレッリ礼拝堂


 イタリアで,言葉は適切ではないかも知れないが感心するのは,教会に入るときはツーリストであっても聖水盤に手を浸し,十字を切って,中央祭壇に挨拶してから堂内に入り,辞去するときも十字を切って片膝をついて頭を下げる人が多いことだ.映画でしか見たことがなかったようなしぐさが日常的に行われていて,この国では宗教が定着しているのだと思わずにいられない.

 日本人も神社では柏手を打ち,お盆にお墓参りをし,時に僧侶の法話に耳を傾けるに際して,ことさらに礼を失する人は少ないと思うので,日本と違うというよりは,むしろ観念的な考察の対象ではなく,文化として宗教が定着しているという意味で日本と似ているところもあるのではないかと思う.

 それはともかく,それほど宗教が定着している国の首都,しかもカトリックの総本山のある町の大きな教会で,題材が宗教的なものとはいえ,人々の関心がまずカラヴァッジョというのは,この画家がいかに人気のある芸術家であるかを端的に示しているのではないか.

 喜捨で明かりのつく箱には誰かが絶え間なく硬貨を投入し,その間,人々は写真撮影に余念がない.フラッシュ禁止をものともせず連写しているのを見ると,これはフィレンツェとは観光客の質が違うのか,突出したところが目立つほどツーリストの数が多いのか,あるいはそれだけカラヴァッジョのご威光が絶対的なのか,ともかくしばし呆然の感があった.

写真:
三部作のうち
「聖マタイの殉教」


 しかし,落ち着いて考えると,大きな教会であるし,その内の一つの礼拝堂のある一角に人々が集まっても数はしれているし,人が多ければ接触したり,ということはあるが,概ね人々は静かに熱心に鑑賞し,写真を撮っているだけなので,「呆然」という反応はおおげさだったかも知れない.

 絵は素晴らしく,昨年の「キリスト降架」の感動がよみがえって来た.離れがたかったが,参集する人々が絶える様子はないので,教会を後にして,雷鳴が轟く街路に足を踏み出した.


「巡礼の聖母」
 サン・ルイージ教会のすぐ近くにサンタゴスティーノ教会がある.ここにもカラヴァッジョの作品があることをガイドブックで知っていたので,次に拝観に行った.

 こちらも大きな教会だったが,カラヴァッジョの「巡礼の聖母」(1603-05年頃)の飾ってある礼拝堂の前はサン・ルイージ教会ほどの人だかりはなかった.

写真:
カラヴァッジョ作
「巡礼の聖母」
サンタゴスティーノ教会


 作品の水準は決して「聖マタイ」三部作に劣るものではないので,団体客の観光コースになっているかどうかが大きいのかも知れない.個人で来ているか,自由時間がたくさんあれば,この教会もまた必ず拝観すべき場所だろう.

 サン・ルイージ教会でもサンタゴスティーノ教会でも,それぞれの教会に特化した案内書は今回入手できなかった(サンタゴスティーノにはスペイン語の小冊子はあった)ので,くわしいことはわからないが,サンタゴスティーノ教会には柱に描かれたラファエロのフレスコ画「預言者イザヤ」,グェルチーノの「聖アウグスティヌスと聖人たち」,アンドレーア・サンソヴィーノの彫刻「聖母子」,その弟子ヤーコポ・サンソヴィーノの「出産の聖母」があるそうだ.

 今回のローマ行ではグェルチーノの絵がたくさん見られたが,それ以上にローマでたくさん作品を見られる画家が17世紀のジョヴァンニ・ランフランコで,彼のフレスコ画「聖母被昇天」もこの教会にはあったらしいが,私たちにはカラヴァッジョとラファエッロを見るのが精一杯だった.

 アウグスティヌスの母である聖モニカ(サンタ・モニカ)の墓があり,これにはお参りした.チェーザレ・ボルジアの愛人で有名な高級娼婦(コルティジャーナ)であったフィアンメッタの墓もあるそうだが,それは知らなかった.サン・ルイージ教会にもドメニキーノのフレスコ画があるとのことだったが,これも見ていない.


時間切れで見逃した2作品
 教会で見られるカラヴァッジョ作品は他に,ポポロ広場にあるサンタ・マリーア・デル・ポポロ教会の「聖ペテロの殉教」と「聖パウロの回心」(ともに1600年)がある.

 これは7日の日曜日の午前中のミサが終わるくらいの時間をねらって拝観に行き,ピントリッキオのフレスコ画までは見ることはできたが,カラヴァッジョを見ようとしたら,次のお祈りの時間が始まり,教会自体は閉まらないが,奥の方の礼拝堂は信者以外は入れなくなったので見られなかった.

 お祈りが終わるまで待とうかとも思ったが,フィリピーノ・リッピの見られるサンタ・マリーア・ソプラ・ミネルヴァ教会もいつ閉まるか不安だったので,急いで辞去し,そちらに向かった.そちらでもフィリピーノの作品は十分に鑑賞できたが,ミケランジェロの「十字架を担うキリスト」像は時間切れで見られなかった.


美術館のカラバッジョ
 今回,どの美術館でカラヴァッジョの作品が見られるかについては予備知識を仕入れていた.前回も行ったバルベリーニ宮殿にある国立古典絵画館,今回のローマ旅行の主要目的の一つであるボルゲーゼ美術館,カンピドリオの丘にあるカピトリーニ美術館である.

写真:
カピトリーニ美術館の
カラヴァッジョ作品


 この他にドーリア・パンフィーリ美術館にもカラヴァッジョがあることは知っていたが,今回は予定していなかった.しかし,3日目に半端に空いた時間ができてしまい,教会は昼休みの時間帯だったので,「仕方なく」ソプラ・ミネルヴァ教会からほど近いドーリア・パンフィーリ美術館に行き,結果的に鑑賞することになった.訪れた順に並べると

カピトリーニ美術館(写真撮影可:右上の写真)
占い師」1596年頃 洗礼者ヨハネ」(若者と牡羊)1600年頃 
ボルゲーゼ美術館
病めるバッカス」1593年頃 聖ヒエロニュモス」1606年頃
花かごを持つ少年」1593年頃 洗礼者ヨハネ」1610年
ダヴィデ」1609-10年頃 花と果物の静物画」1590年代
蛇を踏む聖母子と聖アンナ」1606年
国立古典絵画館
ナルキッソス」1589-99年頃 聖フランチェスコ」1606年頃
洗礼者ヨハネ」1603-04年頃
ホロフェルヌスの首を切るユディット」1598年頃
ドーリア・パンフィーリ美術館
マグダラのマリア」1596-97年頃 聖家族のエジプト退避」1596-97年頃
 「洗礼者ヨハネ」(若者と牡羊)1600年頃・・カピトリーニの作品と同じ絵柄 

 である.うち「聖フランチェスコ」は見せていなかったし,ドーリア・パンフィーリの「洗礼者ヨハネ」はコピーが飾ってあったような気がする.だとしても14作見ており,教会で見た4作とあわせると18点のカラヴァッジョの傑作に出会えたことになる.今までに見ることができた作品(ただし,ウフッツィの「歯を抜く人」は記憶がない)は,

ヴァチカン美術館絵画館
キリスト降架」(キリスト埋葬)1602-03年
ウフィッツィ美術館
バッカス」1596年頃       メドゥーサ」1598-99年頃   
歯を抜く人」1607-09年  「イサクの犠牲」1601-02年頃 
パラティーナ美術館
眠るキューピッド」1608年    
アロフ・デ・ウィグナクールトの肖像」(フラ・アントニオ・マルテッリの肖像)1608年

 であり,そもそも東京周辺の多くの絵画ファン(私には常に「にわか」が付くが)と同じように,数年前に東京の庭園美術館で開催された「カラヴァッジョ展」を見ているので,これでかなりの作品を鑑賞したことになる.

 しかし,庭園美術館では,最終日の長蛇の列の後,混雑の中で見た時の記憶があいまいで,カラヴァッジョの作品と「カラヴァッジョ風」の作品にはだいぶ差があるように思えたことと,幾つかの作品の絵柄(「エマオの饗宴」など)くらいしか覚えていない.

 今では,「カラヴァッジョ風」の絵でも実力を感じさせるものも多くあることを学んだが,やはりカラヴァッジョの絵は何か違うものがあるような気がする.ローマで多くの芸術作品に出会えたが,カラヴァッジョはやはり特別というのが,私の感想だ.

 そもそも,これほどたくさんの作品が見られることを前もって知らなかったのだから,大きなことは言えないが,今回見た中で一番好きな作品を挙げろと言われたら,ボルゲーゼで見た「聖ヒエロニュモス」と答えたい.

これほど破天荒な天才芸術家には,やはり一定の制約があった方が,その才能はきらめくように思える.そういう意味では宗教画こそ,カラヴァッジョの実力が発揮される領域だったのではないだろうか.


 ルーベンスがカラヴァッジョに劣らぬくらい評価したというフィレンツェの画家チーゴリの「ヨセフとポテパルの妻」も,ボルゲーゼのカラヴァッジョを展示した部屋に飾られていた.「旧約聖書」の中でも,人妻が若い男性を誘惑する話なので,題材に緊張感が乏しく,その意味でもチーゴリには気の毒な感じがするが,同時代にはライヴァルでもはっきりと差をつけられた展示になっている.

 カラヴァッジョの絵に感銘を受けながら,私はチーゴリが気の毒で仕方がなかった.もっと良い絵がフィレンツェにたくさんあるのに.アレッサンドロ・アッローリの弟子で,その息子クリストファノ・アッローリの師匠にあたるこの画家は相当の実力者のはずだ.しかし,弟子のクリストファノの「ホロフェルヌスの首を持つユディット」(パラティーナ美術館)を見ると,多分カラヴァッジョの影響は同時代的にも大きなものだったのだろうなと思う.

 なかなか古代にたどりつかないが,次回はカピトリーニ美術館,ボルゲーゼ美術館,古典絵画館,ドーリア・パンフィーリ美術館で出会った傑作群について報告したい.明日に続く.

写真:
カピトリーニ美術館
大広間


 今日はウェルギリウスと私の妻の誕生日だ.約1週間2歳違いだったが,再び1歳違い(大学は同級生だが,私が1浪なので,1歳上)に戻った.15ユーロのキャンティ・クラシコを2杯ずつ飲んだ.





チャイコフスキー「旧居」
フィレンツェ