フィレンツェだより |
サンタ・プラッセーデ教会 ローマ |
§ローマの旅(その1) −サンタ・プラッセーデ教会篇−
紀元前1世紀後半の大詩人が自己投影した牧人ティテュルスは,「お前に幸せをくれた神とは誰なのだ」という不運な同輩の質問をはぐらかすように,ローマの町の大きさを讃えている. 「ローマ」という響きは今でも多くの人にとって特別なものだろう.
![]() 雨中3時間並んでようやく入れたヴァチカン美術館が忘れられない.バルベリーニ宮殿にある国立古典絵画館でも充実した芸術鑑賞をしたが,トラヤヌス帝の記念柱,フォロ・ロマーノ,コロッセオなどの古代遺跡は外側から眺めるだけにとどまった.宿がボルゲーゼ公園のすぐそばだったので,フロントで美術館の予約をお願いしたが,時間が折り合わず,これもあきらめた. 今回は,そのボルゲーゼ美術館とフォロ・ロマーノをぜひとも見たいと思い,インターネットで自分で予約した.前回と同じボンコパーニ通りの宿を取ったので,ボルゲーゼ公園内にある美術館は歩いてすぐそこだ.朝一番の時間帯を予約して宿から直行すれば,その後まとまった時間が残って効率がよいと思い,2日目の9時から11時の時間帯を選択した. 翌日,“ 予約は受け付けたが,その時間は満杯なので午後1時から3時の間になった”と,こちらの都合は全く聞いてくれない返事がきた.でも,前回見られなかった有名な美術館が見られるのだからと気を取り直し,2日目の1時から3時はボルゲーゼ美術館という予定を核にして日程を組んだ. すでに報告したように最終日に掏り被害に遭うなどのトラブルもあったが,概ね満足の行く,多くの新知識を得ることのできた旅行だった.
![]() マッジョーレ教会は大きくて時間がかかりそうだったし,幸い昼休みもないようなので後回しにすることして,まず昼休みのあるプラッセーデに行き,次にプデンツィアーナという順番で回ることにした.しかし,実際には前者に見るべきものが多く,時間切れで後者には行けなかった.
昨年の旅行に携行した『ワールド・ガイド ヨーロッパ1 ローマ・フィレンツェ・ヴェネツィア・ミラノ』(JTBパブリッシング,2005)のローマのページは,よく読むと非常に有益な情報が幾つかあり,その中でも「モザイク」と「カラヴァッジョ」を紹介したコラムは秀抜だ.これを事前にきちんと読んでおけば,効率の良い美術鑑賞ができたのだが,結果的にはこの情報の一部をなぞるように訪ねることになった.
ラヴェンナの場合,そこで多くのモザイク作品に出会えることは多少は予習済みで,おそらく多くの人がそうではないかと思うが,写真で見る限り格別どうということはないように思えるけれども,まあ有名な観光ポイントだし,古代から中世をつなぐ大事な文化現象だから,とりあえず見られる時に見ておこう,という消極的動機で行ってみて,実物の持つ凄さに感銘を受けるというパターンだったように思う. しかし,フレスコ画もそうだが,モザイクだって修復されているであろうから,どこまで「実物」なのかは私には判断はつかない.現にこの目で見たものが素晴らしかった,という感想を持っただけのことである. フィレンツェ周辺でもモザイク作品は見られる.思いつくところでは,サン・ジョヴァンニ洗礼堂の天井と上部壁面,サン・ミニアート・アル・モンテ教会のファサードと後陣中央祭壇の上部(4分の1球形内側の形の半穹窿型丸天井),サンティッシマ・アヌンツィアータ教会ファサードのダヴィデ・ギルランダイオの「受胎告知」,未見だが,ドゥオーモ北側側面のリュネットにあるギルランダイオ兄弟の「受胎告知」,ドゥオーモのファサード裏のガッド・ガッディ作とされる「聖母戴冠」,ルッカのサン・フレディアーノ教会のファサードなどがある. サンタ・プラッセーデ教会 プラッセーデ教会(バジリカ・ディ・サンタ・プラッセーデ)は,サンタ・マリーア・マッジョーレ教会のある大きな広場から細い道を少し入ったところにある.予備知識がなければ少しわかりにくい場所だ. しかし,私たちが知らなかっただけで,多くの人にとっては必見の観光ポイントなのであろう,わかりにくい入口にも関わらずガイドブック片手の人々がどんどん入っていき,おかげで私たちも迷わずに済んだ. 暗い堂内で,まず他の皆さんの足取りに従って入ったのが「聖ゼノの礼拝堂」(カペッラ・ディ・サン・ゼーノ)である.ここで小さいが人目をひくモザイク群を見ることができた.暗かったが喜捨により明かりがつくしくみがあったので,喜んで硬貨を投じた. 決して「芸術」という語が頭に思い浮かぶような傑作ではないかも知れないが,モザイク自体が私たちにはめずらしいし,よく見るとラヴェンナのサンタポリナーレ・ヌオーヴォ教会で見た聖人や聖女と同じような姿の人物たちが見えた. 4人の女性は,向かって右からプデンツィアーナ,聖母,プラッセーデで,この3人はそれぞれ後光が丸く,亡くなった聖人であることがわかる.左端のテオドラという女性の後光は四角いが,これはこの絵が制作された当時,この人物が存命中であることを示すらしい.
このテオドラは6世紀の皇帝ユスティニアヌスの皇后ではなく,この教会の創建者であるローマ教皇パスカリス1世の母とのことだ.であれば,この絵の作成も9世紀ということになり,ラヴェンナの主要なモザイクよりはかなり新しいものと考えて良いのだろう. ![]() 列の外側上方にはモーゼとエリア,外側の列の最下部には教皇パスカリス1世とその後継者エウゲニウス2世が描かれているが,教皇たちの顔は19世紀のもので新しい.
![]() 聖ジョヴァンニ・グァルベルトや聖母を描いたモザイクは19世紀から20世紀のアール・ヌーヴォー調で,それなりに興味深い.
![]() キリストの右側には,キリストにプデンツィアーナを紹介するペテロ,左側にはプラッセーデを紹介するパウロが描かれている.右端の助祭の姿の人物は聖ゼノとも聖キリアクスとも言われており,左端の人物はこの教会の創建者である教皇パスカリス1世で,やはり後光が四角くなっているので,この絵の制作当時存命中だったことになる.であれば,やはりこのモザイクも9世紀前半のものということになろう.
人物群の両脇には天国と勝利を意味する棕櫚の木があり,左側の棕櫚にはフェニックスが止まっていて,キリストの頭上には雲から出された父なる神の手が見える.人物たちの下には川が流れており,ラテン語で「ヨルダン川」とあるのが見える.さらにその下には使徒たちを意味する12頭の羊がエルサレムとベツレヘムの城門から出てきているのは,やはりラヴェンナのサンタポリナーレ・イン・クラッセ教会で見たモザイクの絵柄と同じだ. さらに最下部には青地に金で文字が書かれている.ラテン語でしかも,分析すると6行のヘクサメトロス(長短短六歩格)になるので,聖書の引用ではなく,古典文学の韻律を使った詩になっている.つまるところ,「聖プラセーデに捧げられたこの教会は美しい装飾で飾られているが,これは教皇パスカリス1世の厚情に拠るもので,彼はここに諸方から多くの聖人の聖遺物を集めた」ということらしい. もちろん肉眼で字を見て,省略表記などをきちんと抑えながら,それを理解するほど教会のラテン語に堪能ではないので,情報豊富なこの教会の英訳版のガイドブック Paola Gallio, The Basilica of Saint Praxedes, Genova: B. N. Marconi, 1998 のおかげである.この本の表紙の裏に, In memory of the Eighth Century of the presence of the Vallonbrosan monks at Saint Praxedes (1198 - 1998) "Ut in omnibus glorificetur Deus" とある.最後のラテン語は「全ての人の中で,神の栄光が讃えられますように」というものだが,この記述によって,12世紀以降,この教会の運営にフィレンツェ近郊のヴァッロンブローザのベネディクト派修道会が関わっていることがわかる.それで聖ジョヴァンニ・グァルベルトの礼拝堂とモザイクがあったのかと納得がいった.ちなみにミラノの聖人サン・カルロ・ボッロメーオの礼拝堂もあったが,こちらの由来はまだわからない.
この教会で,板絵かカンヴァス画か不明だが,16世紀の「最後の晩餐」(ジュゼッペ・チェーザリ作)を見ることができた. 他にも昨日アカデミア美術館の報告の際に言及したブロンズィーノの工房にいたステファノ・ピエーリの「受胎告知」(一番下の写真)を初めとする多くのフレスコ画を見ることができた.これを依頼したのがアレッサンドロ・デ・メディチ枢機卿ということなので,フィレンツェ所縁の画家が選ばれたのかも知れない. 12時で昼休みになるので,地下祭室をはじめ見られなかったところもたくさんあったが,あきらめて辞去した.
![]() プラッセーデの後,昼休みのない大教会であるサンタ・マリーア・マッジョーレを拝観したが,こことサン・クレメンテ教会のモザイクについては,ローマの教会で見ることができたフレスコ画の報告とともに「次回に続く」ということにしたい. |
ファサード裏の「受胎告知」の聖母 ステファノ・ピエーリ作,16世紀 |
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