フィレンツェだより
2007年10月8日



 




ローマ・テルミニ駅の近く
サンタ・マリーア・マッジョーレ教会



§事件に巻き込まれる

10月7日,ローマで誕生日を迎え,49歳になり,ついこの間生まれたばかりだと思っていたら,人間50年と言われる時間がまもなく経過してしまう歳になってしまった.


 この日2泊3日の旅行を終えローマからフィレンツェに戻ってきたが,些事を除けば,またしても大満足の旅行になるはずだった.些事というのは,6日に朝にコロッセオを見て,一旦ホテルに戻る地下鉄で,私の財布がなくなったことだ.

 実は昨年のローマ旅行でも,妻に買ってもらったバーバリーのパスケースと買ったばかりの半年定期がなくなった.10万円以上する定期券なので落ち込んだが,スイカになってからは手数料はかかるものの再発行してもらえるようになったので,最小限の損失で済んだ.パスケースは私が買ったのではないのでわからないが,決して安くはなかったようだ.

 今回なくなった財布はそう高いものではないし,入っていたお金も小銭を含めて30ユーロちょっとくらいだったが,気に入っていたものだし,コロッセオや前日行った美術館のチケットの半券などが入っていて,これらは思い出の品になるはずだったので,少し気落ちした.

 2年連続でものをなくすとは,ローマとは相性が悪いのかと落ち込んだが,チケットの半券は妻の分があるし,まだまだ午後は念願のボルゲーゼ美術館をはじめ,教会や美術館ですばらしいものを見られるからと気を取り直した.その後は,チケットなど大事なものは全部妻に預けることにした.



 体力は使ったが,色々な幸運に恵まれて,楽しい旅も終わりに近づき,テルミニ駅でトリエステ行きのユーロスターに乗り込み,あとはフィレンツェに戻るだけというところまできた.

 座席に腰を落ち着けてから,行くことができた遺跡,教会,美術館にかかった費用を確認しようとしたとき,前日の私の財布がなくなったどころではない事態に気づいた.妻の財布がなくなっていた.

 私たちは体も小さいし,どこからみても人が良い,気弱な仔羊のような日本人なので,何かの被害に遭う可能性は他の人たちよりも高いと思い,日頃からそれなりに用心していたから,財布がなくなっているのは意外なことだった.ましてかなり抜けていて能天気な私ならともかく,人一倍慎重で用心深い妻の財布が無くなるというのは考えにくい事態だった.

 しばらくしてショルダーバッグの横がナイフでザックリと切り裂かれているのを発見して納得した.手口は乱暴だが,プロの掏りだ.話には聞いていたが,身動きも出来ないほど混んだ地下鉄のわずか一駅の間に事はなされて,私たちは帰りの電車に乗るまでそれに気づきもしなかった.

写真:
側面が切り裂かれたバッグ


 妻の財布には200ユーロ近い現金が残っていたが,それよりも,ともかくすぐ対応しなければならないと思ったのは,2枚のクレジットカードの使用差し止めの連絡だった.

 すでにユーロスターの発車時間になっていたので,携帯電話で『地球の歩き方』も出ているVISAカードの24時間対応の連絡先に電話したのだが,間違ってかけたほかの会社はつながるのに,電話番号の情報が古いか,それとも携帯からはつながらない番号なのか,何度電話しても切断されてしまってつながらない.

 しかたなく,山口にいる妻の姉に携帯で国際電話をかけた.7時間の時差があるので深夜に姉夫婦を騒がすことになってしまったが,日本のカード会社に連絡してもらい,使用差し止めと被害後未使用の確認をお願いして最終的には事なきを得た.電車の中なのでトンネルも多い上に,中継地点もなく圏外になることも多く,何度も電話が切断し,メールと電話を併用し,しかも2人の携帯をフル稼働させたが,旅行3日目なので,電池が乏しくなっていて,本当に冷や汗をかいた.最悪の場合,妻が額に汗して働いたパート労働の2年分くらいが吹き飛んだかも知れなかったが,それは避けられた.深夜骨を折ってくれた姉夫婦と日本のカード会社の担当の皆さんには感謝の言葉もない.


5ドラクマ
 私が高田馬場の駅で買った高いとは言えないものに比べると,妻の財布は金額面では最大の被害を被ったことになる.しかし,ものを盗られるということはそれだけではない.

 最初は不審に思った2年連続の紛失物も,私も掏りの被害に遭っていたのだと今では確信しているが,パスケースは妻が買ってくれたものだし,安いが愛用の財布には思い出や思い入れがあるし,今回行った美術館などのチケットもこれですべて無くなったことになり,それもまた悲しいことだ.

写真:
松の木立の間から見る
ローマの丘の風景


 まだ30年になるには少し間があるが,学生時代に初めてギリシアに行ったとき,当時の通貨ドラクマ(ヅラフマ)の小額硬貨に哲学者アリストテレスの肖像が刻印されていたのを面白く思い,旅が終わった後も手元に残しておいたのを,卒業の時,哲学科の同級生だった妻にあげた.彼女はそれを大切に携行していてくれたが,それも今回財布とともになくなった.

 もう使えない5ドラクマ硬貨など,盗んだ人には何の意味もないものだろうが,ギリシア・ローマの古典を学ぶことにして大学院に進学した私と,C.S.パースの哲学を学んで実社会に出た妻の間を20数年間結んでいてくれたものなので,正直なところ,これを盗んでいった者に対して,怒りを覚えないではいられない.



 もちろん,後から考えるとああすれば良かったと思うことは幾つかある.徒歩で観光したあとは疲れているであろうから,帰りは荷物もあるし,ホテルからテルミニ駅まではタクシーで行こうと思っていたのに,思ったより体力が残っていて,時間にも余裕があったので,地下鉄の駅まで歩いて行けると思ったところでまず判断を誤ったかもしれない.

 ローマの地下鉄が混雑していて,様々な人が乗っていることは知識としても経験としても知っていたのだから,多少でも荷物がある場合は近くてもタクシーにするか,体力が残っていたのなら,来たときと同じようにあと30分の徒歩移動に耐えても良かった.

 天候にも恵まれ,望んだ教会の拝観や美術鑑賞もかなりでき,宿の対応も親切で,すべて私たちにとって都合の良い巡り会わせになっていた所に油断があったのかも知れない.

 しかし,妻のバッグの切り口を見て,そのように考えるのはやめた.相手はプロだ.電車が揺れて,そんな鋭利な刃物が体に刺さらなかったことを幸運と思うことにしたい.アリストテレスの5ドラクマはなくなってしまったが,どんなに努力しても知力が追いつかないのに,自分が手がけた分野を学んだ後世の仔羊たちを,詩学と論理学のご本尊が身を挺して守ってくれたに違いない.

 ものを盗られるということは実害もあり,心の痛みもともなう.しかし,もし被害が最小限で収まり,心身に深い痛手を被らなければ,私たちにはまだ自分たちが仕事をして,損失を取り戻す手段もある.証拠がない微罪に関しては警察も捜査のしようがないであろう.裁くのは私たちではなく神の仕事だ.私たちはまた営々と私たちの畑を耕すだけである.掏りを働いた青年にも,自分の畑を耕して対価が得られる正業が得られることを願うばかりだ.妻も最初は落ち込んでいたようだが,フィレンツェの家に戻って,気を取り直したようで,「日本に戻ったら元気に働くぞ!」と雄たけびをあげていた.


盗難届
 カード会社から被害届を地元の警察に出して置くようにとの指示があったので,翌日の今日(8日),サン・ガッロ通りにある中央警察(クエストゥーラ)に行ってきた.

 簡単なイタリア語と英語書類で対応してもらえ,親切で素早い処理をして下さった.実際の捜査をともなう事件ではこうは行かないだろうが,被害届を出したという証明書を発行してもらった.


サン・ジョヴァンニーノ・デーイ・カヴァリエーリ教会
 中央警察からの帰路,未拝観だったサン・ガッロ通りのサン・ジョヴァンニーノ・デーイ・カヴァリエーリ教会が開いていたので,初めて拝観させてもらった.

 ビッチ・ディ・ロレンツォの「幼児キリストの礼拝」,ネーリ・ディ・ビッチの「聖母戴冠」,伝ジョット派ストラニーチェの親方の「受胎告知」などの祭壇画,伝ロレンツォ・モナコの「キリスト磔刑像」,カンヴァス画でピエール・ダンディーニの「洗礼者ヨハネの斬首」,パルマ・イル・ジョーヴァネの「最後の晩餐」を見ることができた.

写真:
伝ロレンツォ・モナコ
「キリスト磔刑像」


 サン・マルコ広場のバス停まで戻るとすぐに17番のバスがやって来たので,中央警察の用事を済ませ,教会の拝観の後でも制限時間内で収まって,行きのバス券で帰りのバスに乗ることができた.偶然ではあろうが,私たちはローマよりフィレンツェと相性が良いようだ.





パンテオンの前で