ネポス『ディオン伝』講読1

 テクストは,John C. Rolfe, ed., Cornelius Nepos, Cambridge, Mass.: Harvard University Press & London: William Heinemann, 1929 (Loeb Classical Library) を用います.邦訳としては,畏友,山下太郎,上村健二両氏による,コルネリウス・ネポス『英雄伝』(叢書アレクサンドリア図書館3)(国文社,1995)があります.

 「ディオン伝」に関しては以下の書物を参考にします.
 1.R. Roebuck, ed., Cornelius Nepos: Three Lives: Alcibiades・Dion・Atticus, Bell & Human, 1958, rept., Bristol: Bristol Classical Press, 1987
 2.H. WIlkinson, ed., Cornelius Nepos: Greek Lives, vol.1, London: Macmillan, 1898
 3.Karl Nipperdey, ed., Cornelius Nepos, Weidmann, 1967
 4.プルタルコス,『ディオン伝』(岩波文庫に河野与一の訳がある)
 5.プラトン,『第七書簡』(岩波書店の『プラトン全集』に翻訳あり.角川文庫からも『プラトン書簡集』(山本光雄訳)の翻訳が出ていた.さらに岩波文庫のブラック,『プラトン入門』(内山勝利訳)にも付録として『第七書簡』があります)

(テクスト)

 (1.1.) Dion, Hipparini filius, Syracusanos, nobili genere natus, utraque implicatus tyrannide DIonysiorum. Namque ille superior Aristomachen, sororem Dionis, habuit in matrimonio, ex qua duos filios, Hipparinum et Nisaeum, procreavit totidemque filias, nomine Sophrosynen et Areten, quarum priorem DIonysio filio, eidem cui regnum reliquit, nuptum dedit, alteram, Areten, Dioni.

(語彙)

(1. 1.) 第1文

 Dion:第3変化・男性名詞Dion, Dionis, m.「ディオン(ディオーン)」の単数・主格.シチリア島(ギリシア語:シケリアー/ラテン語:シキリア)のシュラクサイ(シュラークーサイ)(ラテン語:シュラクサエ/シュラークーサエ)(現在のシラクーザ)の人で,プラトンの年下の友人.ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』(岩波文庫に翻訳あり)にも引用されているが,『ギリシア詞華集』 (Anthologia Graeca / Greek Anthology) に,ディオンの死を悼む挽歌がプラトンの名前で伝えられている
 Hipparini:第2変化・男性名詞Hipparin-us, -i, m.「ヒッパリヌス(ヒッパリーヌス)」(ギリシア語:ヒッパリノス/ヒッパリーノス)の単数・属格
 filius:第2変化・男性名詞fili-us, -i, m.「息子」の単数・主格
 Syracusanus:第1・第2変化形容詞Syracusan-us, -a, -um「シュラクサイの,シュラクサイ人の」の男性・単数・主格.ここでは名詞化して「シュラクサイ人」
 nobili:第3変化形容詞nobil-is, -e「高貴な,生まれの良い」の中性・単数・奪格
 genere:第3変化中性名詞genus, generis, n.「生まれ,種族,種類,家柄」の単数・奪格
 natus:第3変化第1形動詞の形式受動相動詞nascor, nasci, natus sum「生まれる」の完了分詞・男性・単数・主格
 utraque:第1・第2変化の不定形容詞uterque, utraque, utrumque(-queは不変化)「両方の,どちらも」の女性・単数・奪格
 implicatus:第1活用動詞implic-o, -are, -avi, -atum「結合させる,抱き込む,包み込む,関係させる」の完了分詞・男性・単数・主格.「関わらされた」→「関わった」
 tyrannide:第3変化・女性名詞tyrannis, tyrannidis, f.「僭主政治」の単数・与格.僭主(テュランノス)は事実上は「王」(ギリシア語:バシレウス/ラテン語:レックス)であるが,これと区別するときは,「王」が伝統的権威と血統による支配者であるのに対し,「僭主」は民衆の指示を背景に主に非合法手段によって政権を奪取し終身の独裁者の地位を得た実力者を指し,後世の「暴君」のイメージとは違う.ただし,ここに見られるように世襲されるケースが多いので,実際には「王」と考えて良いであろう.有名なソポクレスの悲劇『オイデュプス王』の原題は『オイディプース・テュランノス』である
 Dionysiorum:第2変化・男性名詞Dionysi-us, -i, m.「ディオニュシウス(ディオニューシウス)」(ギリシア語:ディオニュシオス/デュオニューシオス)の複数・属格.固有名詞が複数なのは父子共に同じ名前だからであり,「父ディオニュシオスと子ディオニュシオスの両方の僭主政治に関わった」

(1. 1) 第2文

 namque:接続詞nam「というのも」+等位接続詞-que「〜と,そして」
 ille:指示代名詞ille, illa, illud「あれ,あの」(それ,その)の男性・単数・主格・ここでは「彼」(=父ディオニュシオス)の意味で使われている
 superior:第1・第2変化形容詞super-us, -a, -um「上の」の比較級・男性・単数・主格.「より上の」→「年長の」→「(子の方ではなく)父親の方の」
 Aristomachen:ギリシア語の第1変化・女性名詞Aristomach-e, -es, f.「アリストマケー」のギリシア語形の単数・対格
 sororem:第3変化・女性名詞soror, sororis, f.「姉妹(姉もしくは妹)」の単数・対格.「アリストマケー」の説明的同格
 Dionis:第3変化・男性名詞Dion, Dionis, m.「ディオン(ディオーン)」の単数・属格
 habuit:第2活用動詞habeo, habere, habui, habitum「持つ」の直説法・能動相・完了・3人称・単数.「結婚において持つ」→「娶る」.主語は「父ディオニュシオス」
 in:奪格支配の前置詞「〜において」
 matirmonio:第2変化・中性名詞matrimoni-um, -i, n.「結婚」の単数・奪格
 ex:奪格支配の前置詞「〜から」(内→外)
 qua:関係代名詞qui, quae, quodの女性・単数・奪格.先行詞は「アリストマケー」
 duos:不規則変化(第1・第2変化がベース)形容詞(数詞)du-o, -ae, -o「二つの」(複数形のみ)の男性・複数・対格
 filios:第2変化・男性名詞fili-us, -i, m.「息子」の複数・対格
 Hipparinum:第2変化・男性名詞Hipparin-us, -i, m.「ヒッパリヌス(ヒッパリーヌス)」(ギリシア語:ヒッパリノス/ヒッパリーノス)の単数・対格.母方の祖父と同じ名前ということになる
 et:等位接続詞「〜と,そして」
 Nisaeum:第2変化・男性名詞Nisae-us, -i, m.「ニサエウス(ニーサエウス)」(ギリシア語:ニサイオス/ニーサイオス)の単数・対格
 procreavit:第1活用動詞procre-o, -are, -avi, -atum「産む,産出する,創出する」の直説法・能動相・完了・3人称・単数.主語は「父ディオニュシオス」なので,この場合「父として子を得た」
 totidemque:不変化の不定形容詞「同数の」の女性・複数・対格+等位接続詞-que「〜と,そして」
 filias:第1変化・女性名詞fili-a, -ae, f.「娘」の複数・対格
 nomine:第3変化・中性名詞nomen, nominis, n.「名前」の単数・奪格.「名前において」→「その名は」
 Sophrosynen:ギリシア語の第1変化・女性名詞Sophrosyn-e, -es, f.「ソプロシュネー(ソープロシュネー)」の単数・対格.ギリシア語の普通名詞で「節制,節度,思慮」の意味だが,ここでは女性の固有名詞
 et:等位接続詞「〜と,そして」
 Areten:ギリシア語の第1変化・女性名詞Aret-e, -es, f「アレテー」.の単数・対格.元来ギリシア語の「徳,美徳,勇気」を意味する普通名詞だが,ここでは女性の固有名詞
 quarum:関係代名詞qui, quae, quodの女性・複数・属格.先行詞は「ソプロシュネーとアレテー」,「彼女たちの内の」(部分の属格)
 priorem:比較級の形容詞prior, prius「より早い,先の,先に生まれた」の女性・単数・対格.ここでは「最初の方の女性」=「ソプロシュネー」を指す
 Dionysio:第2変化・男性名詞Dionysi-us, -i, m.「ディオニュシウス(ディオニューシウス)」(ギリシア語:ディオニュシオス/デュオニューシオス)の単数・与格
 filio:第2変化・男性名詞fili-us, -i, m.「息子」の単数・与格.「ディオニュシオス」の説明的同格
 eidem:不定代名詞idem, eadem, idem「同じ(人,物)」の男性・単数・与格.「関係節で説明されるのと同じその人」
 cui:関係代名詞qui, quae, quodの男性・単数・与格(ただし三性共通形).関係詞の「格」は関係文中の文法的位置づけによって決まるが,ここで与格なのは先行詞が与格だからではなく,関係文中の動詞の間接目的語になっているから
 regnum:第2変化・中性名詞regn-um, -i, n.「王権,王座」の単数,対格
 nuptum:第3活用第1形動詞nubo, nuberem nupsi, nuptum「(与格支配)〜と結婚する,〜を娶る」の目的分詞(spinum)第1形「娶るために,妻とするために」
 dedit:第1活用に基準とする不規則動詞do, dare, dedi, datum「与える」の直説法・能動相・完了・3人称・単数.主語は「父ディオニュシオス」.息子ディオニュシオスとソプロシュネーの結婚は異母兄妹の結婚ということになる
 aleteram:代名詞型の第1・第2形容詞alter, altra, altrum「他の,第二の,二番目の」の女性・単数・対格.ここでは「二人目の娘」=「アレテー」を指す
 Areten:ギリシア語の第1変化・女性名詞Aret-e, -es, f「アレテー」.の単数・対格.元来ギリシア語の「徳,美徳,勇気」を意味する普通名詞だが,ここでは女性の固有名詞.「二人目(の娘)」の説明的同格
 Dioni:第3変化・男性名詞Dion, Dionis, m.「ディオン(ディオーン)」の単数・与格.ディオンとアレテーは叔父と姪の結婚ということになる 

(試訳)

(1.1)ディオンはヒッパリノスの子で,シュラクサイ人であり,良い家柄に生まれ,二人のディオニュシオスのどちらの僭主政治にも関わった.と言うのも,父の方のディオニュシオスはディオンの姉アリストマケーを娶り,彼女からヒッパリノスとニサイオスの二人の息子と,名をソプロシュネーとアレテーと言う二人の娘を儲けた.娘たちのうちの年長の方を,王権を相続させたまさにその人物である息子ディオニュシオスに妻とするべく与え,もう一人のアレテーはディオンに与えた.