フィレンツェだより第2章
2017年11月30日



 




「大天使ミカエル」のステンドグラス
プッブリコ宮殿,市立博物館
シエナ



§シエナ行4 「アンブロージョ・ロレンゼッティ展」

エミリア=ロマーニャ州の報告が始まったばかりだが,予告通り,今回は11月12日にシエナで見た「アンブロージョ・ロレンゼッティ(ロレンツェッティ)展」の報告をする.


 画家の名前の表記については,日本語の参考書,ウェブページのほとんどが「ロレンツェッティ」としており,おそらく先祖にロレンツォ(ラウレンティウス)という人がいて,その愛称がロレンツェットになり,その子孫たちがその複数形を家名として使ったのではあれば,確かにロレンツェッティと読むべきであろう.

 しかし,「ロレンゼッティ」と覚えて,今までそれで通してきたので,当分は「ロレンゼッティ」と表記する.

 未だに兄のピエトロの作品とアンブロージョの作品の区別もつかないような体たらくで,今回の特別展も,しばらくはロレンゼッティ兄弟の特別展だと思い続けていたくらいなので,この機会に少し整理してみる.


特別展の出展作品
 伊語版ウィキペディアにアンブロージョの作品リストがあるので,今回の出品と以前見たことがあるかどうかの欄を付け加えて,表にしてみる.

  作 品 所 蔵 , 制作年 今回の出品   見たことあり
1 「聖母子」 サン・カシャーノ・イン・ヴァル・ディ・ペーザ宗教芸術博物館,1319  〇  〇
2 「聖母子」 ミラノ,ブレラ絵画館,1320-30    〇
3 「サン・プロコロ教会の三翼祭壇画」 フィレンツェ,ウフィッツィ美術館,1332  〇  〇
4 「バーリの聖ニコラの物語の四枚板絵」 同,1332頃  〇  〇
5 「聖母子,大天使ミカエルと聖人たち」 アシャーノ宗教芸術博物館,1330-35  〇  
6 「聖母子」 パリ,ルーヴル美術館,1330-35  〇  〇
7 「モンテネーロ・ドルチャの磔刑像」 モンテネーロ・ドルチャ,サンタ・ルチーア教会,1335頃  〇  
8 「荘厳の聖母子」 マッサ・マリッティマ宗教芸術博物館,1335頃  〇  
9 「荘厳の聖母子」(フレスコ画) キウスディーノ,サン・ガルガーノ・ア・モンテシエーピ礼拝堂,1334-36  〇  
10 「荘厳の聖母子」(フレスコ画) シエナ,サンタゴスティーノ教会,1337-38    
11 「フランチェスコ会士たちの殉教とトゥールーズの聖ルイの誓い」(フレスコ画) シエナ,サン・フランチェスコ聖堂,1336-40    〇
12 「善政と悪政および,都市と周辺地域におけるそれらの結果の寓意画」(フレスコ画) シエナ,プッブリコ宮殿,1338-39    〇
13 「国庫財政管理人と納税者たちを描いたビッケルマ(シエナ共和国政府歳入歳出台帳)表紙」(テンペラ金地板絵) シエナ,国立古文書館,1340    
14 「サンタ・ペトロニッラ教会の多翼祭壇画」 シエナ,国立絵画館,1340頃  〇  〇
15 「聖母子」 シエナ,国立絵画館,1340頃  〇  〇
16 「聖母子」(フレスコ画) シエナ,プッブリコ宮殿,1340頃  〇  〇
17 「ロッカルベーニャの多翼祭壇画」 ロッカルベーニャ,サンティ・ピエトロ・エ・パオロ教区教会,1340頃  〇  
18 「聖母子」 ボストン美術館,1340頃    
19 「小さな荘厳の聖母子」 シエナ,国立絵画館,1340頃  〇  〇
19a 「聖ニコラウスの3人の女性への施し」 パリ,ルーヴル美術館,1340頃  〇  〇
19b 「聖マルティヌスの貧者への外套の施し」 イェール大学美術館,1340頃  〇  
20 「聖母子」 シエナ,サン・ピエトロ・アッレ・スカーレ教会,1340-45  〇  〇
21 「イエスの神殿奉献」 フィレンツェ,ウフィッツィ美術館,1342  〇  〇
22 「善政の寓意を描いたビッケルマの表紙」 シエナ,国立古文書館,1342  〇  
23 「受胎告知」 シエナ,国立絵画館,1344  〇  〇
24 「救済の寓意」 シエナ,国立絵画館,1340-47  〇  〇
25 「カルミネ教会の磔刑像」 シエナ,国立絵画館(図録では1328-30頃)  〇  〇
26 「聖母子」 ニューヨーク,メトロポリタン美術館    
27 「授乳の聖母子」 シエナ,司教区博物館(図録では1325頃)  〇  〇
28 「解体された多翼祭壇画の4つのパネル」(4人の聖人はベネディクトゥス,アレクサンドリアのカタリナ,マグダラのマリア,フランチェスコ) シエナ,大聖堂博物館(図録では1335頃)  〇  〇
29 「磔刑像」 シエナ,個人蔵(図録では1317-19)  〇  〇
30 「アレクサンドリアの聖カタリナ,福音史家ヨハネ,聖アウグスティヌスと信者」(剥離フレスコ画) シエナ,パラッツォ・プッブリコ    〇

(付番は宮城,制作年代は伊語版ウィキペディアに従い,伊語版ウィキペディアが制作年代を示していない25から30については,今回の特別展の図録にあるものはその年代を記した.)

 この特別展以前に見ていた作品は,上記32点(19a,19bは19の両脇に付されていた小品だが,一応それぞれ1作品と勘定する)のうち21点である.29の「個人蔵」は明らかにサリーニ・コレクションを指し,これもプブリコ宮殿の特別展で2度観ることができた.



 今回の「アンブロージョ・ロレンゼッティ展」には上記のうち24点が出展されていたと記憶する(購入した分厚い図録でも一応確認している).

 このうち20に関して,伊語版ウィキペディアは「聖母子」としているが,「聖母子と聖人たち」のそれぞれ祭壇画パネル5枚で,2007年11月7日の2度目のシエナ訪問でサン・ピエトロ・アッレ・スカーレ教会を拝観(その際の報告)した際に見ている.

 同作品については,今期2回訪れたサンタ・マリーア・デッラ・スカーラ救済院の一室で,修復中だったところを見ている.教会も2度拝観したが,もちろん外されていた.今回の展示から聖人の並べ方を変えたようで,それに関しては図録に説明があるが,ここでは触れない.

 14は「聖母子」など現存する8枚のパネルを研究者の推定に基づいて組み合わせたもので,国立絵画館に展示されている時と同じ並べ方で多翼祭壇画風に展示されているが,チマーザ(各パネルの上部にある三角形パネル)など欠損部分がかなりあると思われる.

 9は独立した礼拝堂に描かれたフレスコ画を剥離パネルにしたものをシノピアとともに展示し,部分的に礼拝堂の内部を再現してみせてくれているので,一点に数えるのは躊躇されるが,3つのリュネット「聖母子と聖人たち」(中央),「聖ガルガヌスに剣を与える大天使ミカエルと天使に見守られた聖人たち」(左壁面),「天使に見守られた聖人たち」(右壁面)によって,全体として「荘厳の聖母子」(マエスタ)になっていると思われる.

 元は「聖母子と聖人たち」のリュネットの下の壁面にある「受胎告知」は礼拝堂風の再現空間の外側に他の剥離フレスコ画,シノピアとともに展示されていた.「聖母子と聖人たち」の下部に横たわる「イヴ」がいかにもアンブロージョの描く女性で印象深い.いずれにせよフレスコ画6面(うち1面はごく小さな断片)とシノピアが2面で大変見応えのある展示だった.

写真:
「キアラ会修道女たち」
ナショナル・ギャラリー,
ロンドン


 伊語版ウィキペディアのリストではおそらく11に含めていて,個別の言及はない剥離フレスコ画断片,「復活のキリスト」,「ソロモン王」(以上,シエナ,司教区博物館),「嘆きの聖母」「キアラ会修道女たち」(以上,ロンドン,ナショナル・ギャラリー)が展示されていた.ただし,「復活のキリスト」,「嘆きの聖母」は兄のピエトロの作品とされている.

 上記リスト11の2つの作品も,本来サン・フランチェスコ聖堂の司祭館もしくは聖堂参事会室にあったフレスコ画を剥離して,現在は本堂の左翼廊の礼拝堂の左右壁面に向かい合うように飾られているが,この特別展で観られた司教区博物館,ナショナル・ギャラリーの作品と同じグループに属する作品である.

 上記リストに挙げられてない2枚の「聖ペテロ」,「聖パウロ」の祭壇画パネル(モンタルチーノ宗教芸術博物館,1345頃)が最後の部屋に展示されていた.モンタルチーの近くのサンタンジェロ・イン・コッレのサン・ミケーレ・アルカンジェロ教区教会の司祭館にあった作品が,シエナ国立絵画館所蔵となり,モンタルチーノの博物館に寄託されているものらしい.

 さらに,多分下絵を担当したのであろう,ステンドグラス「大天使ミカエル」(シエナ,プッブリコ宮殿,市立博物館,1325-30)も展示されていた(トップの写真).


初めて観た作品
 最初の部屋には,アンブロージョをシエナ派の流れの中に位置づけるためか,ドゥッチョ「イエスの受難の物語」(マッサ・マリッティマ,サン・チェルボーネ大聖堂,1316),シモーネ・マルティーニ「祝福する救世主イエス」(ヴァティカン博物館,1318-20),ピエトロ・ロレンゼッティ「聖母子」(カスティリオーネ・ドルチャ,サンティ・ステーファノ・エ・デーニャ教区教会,1310-15)が展示されていた.

 図録には,同じくサン・チェルボーネ大聖堂からドッチョと工房「聖母子」が展示されているとあるが,私は見た記憶が無い.多分,行った日には展示されていなかったと思う.

 2番目の部屋に弟の「磔刑像」との比較のためか,兄ピエトロの「磔刑像」(コルトーナ,司教区博物館,1315-20),またサン・ガルガーノのフレスコ画のある部屋にはニッコロ・ディ・セーニャ「聖母子」(サン・ガルガーノ・ア・モンテシエーピ礼拝堂,1336)が展示されていた.

 これらと上述の「復活のキリスト」,「嘆きの聖母」の7作品(図録に拠れば8作品)の他は全てアンブロージョの作品で,多くの作品がシエナおよびその周辺(フィレンツェも含む)にあるとは言え,考えられないほど充実した特別展と言えよう.

 特に,マッサ・マリッティマ(人口8千人以上の比較的大きく有名な町だがフィレンツェからは交通の便が悪い),キウスディーノアシャーノロッカルベーニャモンテネーロ・ドルチャなど,公共交通機関だけでは行く計画を立てる気にもなれないような場所からの出展は,私には魅力的だった.


写真:サンタゴスティーノ教会のフレスコ画「荘厳の聖母子」


 10のサンタゴスティーノ教会のフレスコ画「荘厳の聖母子」も見たことがなかった.これまで教会には5回足を運んで一度しか拝観できず,その際にもこのフレスコ画とソドマの祭壇画のある礼拝堂は公開されていなかった.

 この作品は特別展の会場にはなかったが,サン・フランチェスコ聖堂の剥離フレスコ画,サン・ピエトロ・アッレ・スカーレ教会の祭壇画パネルとともに,今回,特別展と連携して修復が行なわれ,金,土,日の午前11時から午後5時まで特別に公開されていたので見ることができた.

 見て幸福感を味わうことができるすばらしい作品だ.

 この特別展のおかげで,未見の作品は,上記伊語版ウィキペディアのリストの中で,13,18,26だけになった.このうち13に関しては,国立古文書館は公開されているので,展示がなされていれば見ることができるだろう.

 特別展図録の解説の部分で,ブダペストの博物館にある「聖母子」もアンブロージョの作品として紹介されていたが,今回の特別展に来ていなかった以上,今後も見る機会はないだろう.専門の研究者ならともかく,一介の愛好者なので,もちろん,見られない作品があるのは仕方のないことだ.あきらめるべきものはきっぱりあきらめるのも,人生の智慧の一つだと思う.


シエナ派の描く「美しい女性」
 以前,シエナの国立絵画館でアンブロージョの通称「サンタ・ペトロニッラ教会の多翼祭壇画」,特に聖母子の(向かって)右側に置かれた「聖マルタ」を見て,ラファエル前派と総称される画家たちの絵が思い浮かんだ.

 この特別展図録の解説に,エドワード・バーン=ジョーンズの絵が掲載されているのを見て,なるほど,専門家の意見としても,ラファエル前派の画家への影響はあり得るのだなと思った.

写真:
「聖マルタ」(部分)
多翼祭壇画のパネル


 話は少し逸れるが,この「聖マルタ」をウェブ・ギャラリー・オヴ・アートなどでは「ドロテア」としていて,花がアトリビュートになっている点ではドロテアの方がふさわしいと私も思う.

 マルタだとしたら,妹のマリア(「マルタの姉妹マリア」は「マグダラのマリア」,「罪ある女性」と同一視されることになる)と対照の意味を込めて地味に描かれることが多い彼女を,これほど美しく描いた画家の意図はどこにあったのかと思う.

 反対側のパネルに描かれているのが香油壺を持つ女性で「マルタの姉妹マリア」と同一視される「マグダラのマリア」であること以外に,この女性を「マルタ」とする根拠はあるのだろうか.

 この多翼祭壇画が正しく復元されているのであれば,下部の「キリスト哀悼」に描かれた女性の中で,キリストの足許の女性の光輪には「マグダラのマリア」(サンタ・マリーア・マまでしか読めないが,まず「マ」以下はマッダレーナで,マグダラのマリアであろう)の名があり,聖母の後ろでキリストの手をとって泣いている女性の光輪には「サンタ・マルタ」とあるので,上部の「聖母子」の隣に「ドロテア」が置かれるよりも,「マルタ」の可能性が高いということだと想像する.

 また,「哀悼」に描かれている光輪に記銘のある男性の中に,アリマテアのヨセフ,ニコデモの他に「司祭マクシミヌス」という,通常の「哀悼」には出てこないかも知れない(要確認)人物がいて,上部の復元形にも,このマクシミヌスのパネル(記名がある)があることから,上部のパネルと下部の「哀悼」に描かれた人物が対応していることにより,上部の件の女性がマルタだという傍証になっていると推測する.

 このマクシミヌスは,伝説ではラザロ,マルタ,マリアたちの家に仕えていた人物で,後に彼らと一緒に南フランスに行き,エクサンプロヴァンスの司祭になったとされるので,復元形が正しければ,一層「マルタ」説が有力になるかも知れない.

 しかし,私が考えても結論は出ないので,「ドロテア」とする専門家もいることは確認したが,とりあえず図録に従って「マルタ」としておく.

 話を元に戻すと,「聖マルタ」は,今考えるとラファエル前派もさることながら,アール・ヌーヴォーと称される芸術流行の中に位置づけられるアルフォンス・ミュシャ(ムハ)のポスター画なども想起させるような絵だ.中世の絵にしては異様に新しい感じがして,違和感を覚えながらも,心惹かれた.

 シエナ派の画家たちが描く「きれいな女性たち」は以前から気になっていたが,ルーカ・ディ・トンメやサーノ・ディ・ピエトロだと,「きれいな絵だなあ」という感想を抱くくらいで済むけれども,さすがに大物のアンブロージョの場合は,その分かりやすいきれいさを前にすると「本当にこの絵をアンブロージョ・ロレンゼッティが描いたのだろうか」と思ってしまう.

 考えてみれば,「ラファエル前派」と言うくらいで「ラファエロ(=ルネサンスの古典主義的傾向の完成)以前」を意識し,ゴシック尊重のジョン・ラスキンの影響もあったわけだから,彼らの絵が中世絵画の影響を受けていても不思議は無いし,アール・ヌーヴォーなどにももしかしたらその影響はあるのかも知れない.

 さらに言えば,日本の少女雑誌の挿絵画家たちには,ラファエル前派やアール・ヌーヴォーの影響は間違いなくあるだろうから,彼らに「シエナ派」と共通のものを感じても何らかの説明はつくのかも知れない.

 アンブロージョの描く女性像は,現代が理想とするような痩身ではなく,どちらかと言えばふくよかな感じ(ただし,聖母に関してはふくよかな場合も,細身で細面で,サーノ・ディ・ピエトロの描く聖母のように見える場合も幾つか見られる)で,その点はラファエル前派やミュシャ,日本の少女雑誌の挿絵とは違うかもしれないが,現代人(特に欧米文化の影響を受けた日本人)が「きれい」,「美しい」と思う要素をかなり備えていて,彼の絵の特徴のひとつとなっていると思う.


アンブロージョの聖母子
 アンブロージョ・ロレンゼッティはおそらく1290年頃シエナで生まれ,1348年に有名な黒死病(ペスト)の流行で亡くなったと考えられている.黒死病で亡くなった時,60歳近かったのであれば,当時としては夭折とは言えず,巨匠として自己実現も十分に近く達成したのではないかと思われる.

 10歳年長の兄のピエトロが亡くなったのも1348年と考えられており,フィレンツェでジョッテスキをリードしたベルナルド・ダッディも同年に死亡したとされているので,トスカーナの芸術環境に黒死病がいかに大きく影響したかが察せられる.

 兄のピエトロはドゥッチョの工房で修行したか,少なくともその影響を受けたと考えられているが,10歳年下の弟アンブロージョは,フィレンツェの工房で修行した可能性も指摘されており,初期の活動はフィレンツェだったと考えられている.

写真:
「聖母子」(部分)
サン・カシャーノ・イン・
ヴァル・ディ・ペーザ
宗教芸術博物館


 制作年代(1319年)が作品に記されているサン・カシャーノ・ヴァル・ディ・ペーザの「聖母子」が,本当にアンブロージョの作品であれば,現在分かる限り最古の作品ということになる.

 しかし,1290年頃が生年であれば,既に30歳に近かったことになり,天才の出発点と考えるには遅すぎるように思われる.しかも,後の彼の作品に比べて,古拙とまでは言わないが,後のアンブロージョが描いた美しい女性像と同じ画家の作品とは思えないほど硬直した宗教画に見える.

 もちろん,注文主(サンタンジェロ・ア・ヴィーコ・ラバーテ教会の修道士たちなど)の意向もあって,アンブロージョの考えだけで,この絵が描かれたわけではないだろうが,この作品を基準にして以後の作品を見て行くと,当たり前のことかも知れないが,「巨匠」も画家として成長して行くプロセスがあるのだなと思う.

 サン・カシャーノ・イン・ヴァル・ディ・ペーザの宗教芸術博物館に行った時は,チェンニ・ディ・フランチェスコの絵を観るのが第一の目的だったが,遥かに有名なアンブロージョ・ロレンゼッティのこの作品を見つけて,それなりに注意を払って観た.

 正面観の古風な作風で,華やかさに欠けるが,それでも聖母の顔には既にアンブロージョの個性が表れているように思う.また嬰児イエスに関しても,ここに描かれた嬰児の異教徒からすると頓狂にも見える表情は,以後もずっと受け継がれて行くように思える.やはり間違いなくアンブロージョの作品なのであろう.

 伊語版ウィキペディアで2番目に挙げられているブレラ絵画館の「聖母子」は,ブラレ絵画館に3度行っている以上,3度は見ているはずだが,はっきりとした観た記憶はない.先日(10月31日)モンツァからの帰りに寄った際に確認して,写真に収めた(ブレラも写真可となっていた).

 この絵は概ね1320年代の作品と考えられているようだが,サン・カシャーノの「聖母子」と全く似ていない.聖母は4分の3観面で,細面であり,サン・カシャーノの聖母や,後にアンブロージョが描くふくよかな女性たちとはずいぶん違って見える.フィレンツェ派やシエナ派の画家の誰の作品に似ているのかも,なかなか私にはわからない.

 伊語版ウィキペディアにも指摘があるように,アレッツォのサンタ・マリーア・デッレ・ピエーヴェ教会の後陣を飾っているピエトロ・ロレンゼッティの多翼祭壇画の中央パネルの「聖母子」に似ているように思われるので,この作品を本当にアンブロージョが描いたのであれば,この頃から兄ピエトロを通じて,故郷シエナの芸術を体得していったのかも知れないが,巨匠の30代が未だに大きな変化を伴う成長過程であるとは俄に信じ難い.

写真:
「サン・プロコロ教会の
三翼祭壇画」
聖母子パネル(部分)
ウフィッツィ美術館


 それに比べると,ウフィッツィ美術館にある「サン・プロコロ教会の三翼祭壇画」は,華やかだし,見た目にもシモーネ・マルティーニやリッポ・メンミの絵に似ているように思え,シエナ派を感じさせる.

 他のシエナ派とは一線を画してフィレンツェ派の影響を大きく受けたかも知れないアンブロージョがフィレンツェの教会のために描き,現在もフィレンツェにある作品が,素人目にも分かるくらい「シエナ派」を感じさせるのは皮肉な感じもする.

 1332年の作品であれば,サン・カシャーノの「聖母子」からは13年経っており,描き方も随分変わっているが,ようやく巨匠が40歳前後で描いたかも知れない作品と出会えたような安心感が得られる.

 サン・プロコロ教会はとうの昔に廃絶した教会と思っていたが,伊語版ウィキペディアの写真を見て驚いた.まさにフィレンツェの中心地域の最近よく通る辺りにあって,このファサードを私は何度も見ていた.

 他都市であれば,廃絶した教会は建物が残っていないか,残っていてもいかにも廃墟のようになっているのに,フィレンツェの場合,展示会会場とか,コンサート会場などへの転用の需要があるので,建物がそのまま残っている場合が少なくない.

 しかし,この教会は,フィレンツェに残っているにしては廃墟感が濃厚で,確かに建物は教会に見えるが,廃絶した教会だと思い,名前の確認も怠っていた.今期は,これまで未拝観だった市内の多くの教会を拝観しているが,サン・プロコロ教会を拝観できる日は来ないような気がする.


聖母子の周囲に描かれたもの
 特別展のどの作品も観ることができて良かったが,とりわけ,アシャーノ宗教芸術博物館の三翼祭壇画「聖母子,大天使ミカエルと聖人たち」,サン・ガルガーノのフレスコ画群,マッサ・マリッティマ宗教芸術博物館の多翼祭壇画「荘厳の聖母子と聖人たち」は,再び会うことはないものと思い,見られて嬉しかった.

 特別展は1月まで開催されているので,もう一度見に行くと言う選択肢は残っているが,一期一会の出会いとして,これらの素晴らしい作品と向き合った.

 伊語版ウィキペディアの整理によれば,いずれも1330年代の前半から半ば頃までの作品で,おそらく40代前半の名声が確立し,気力も充実し,巨匠への道を邁進している時期に描かれたものと思われる.

 ただし,図録ではアシャーノの祭壇画の制作年代は1337年頃の作品としている.マッサ・マリッティマの作品に関しては制作年代を示していないが,ドゥッチョやシモーネ・マルティーニとの比較を含む精緻な考察の後に,おぼろげながら1335年頃の作品とは考えてはいるようだ.サン・ガルガーノのフレスコ画は1334年から36年の作品としており,両者ともに「頃」のついていない同じ年代を上げているので,これは文献的根拠があるのだろう.

 伊語版ウィキペディアと図録では,アシャーノの祭壇画が後者において少し制作年代が遅くなり,想定される制作順にも変化が生ずるが,その場合でも,アシャーノの祭壇画も画家が40代後半に入ったばかりの頃の作品と考えられるので,大差は無いと言って良いだろう.

写真:
祭壇画のパネルの1枚
「悪龍を退治する
大天使ミカエル」(部分)


 アシャーノの祭壇画は,「悪龍を退治する大天使ミカエル」が中央パネルで,左右のパネルに聖バルトロマイと聖ベネディクトクスがいる.それぞれのパネルには三角形の尖頭部分(クスピデもしくはチマーザ)があり,中央は「聖母子」,左は「福音史家ヨハネ」,右は「トゥールーズの聖ルイ」である.

 尖塔部分中央に聖母子がいるが,一目見て,主役は中央パネルの大天使ミカエルであろうと思われる.その凛々しさに心打たれながら,悪に打ち克つ正義の寓意として,この時代にミカエルが多く描かれたことに思いを馳せる.

 突然,人生に降りかかってくる理不尽(権力,武力,ペストといったもの)に翻弄される人々が,そこからの解放を希求していただろうと言うのは単純な発想かも知れないが,全く的外れでもないだろう.制作を依頼したのが,体制側の人たちだったとしても,この祭壇画を見て神を想う人びとの多くは庶民階級の出身であり,彼らの精神的救済にミカエルの図像が必要だったからこそ,これだけ多くのミカエルが描かれたように思える.

 サン・ガルガーノのフレスコ画にもミカエルは登場し,アンブロージョはステンドグラスの下絵でもミカエルを描き,そのステンドグラスもこの特別展には展示されていた.祭壇画の天使たち,聖人たちの中にもミカエルは描かれることが多く,神の意志を受けて地上に正義を具現する者として崇敬の対象になったのであろう.


「荘厳の聖母子」 (全体) 左上:「愛(慈愛)」 左下:「信仰(信義)」


 マッサ・マリッティマの多翼祭壇画「荘厳の聖母子」(マエスタ)で印象に残るのも天使たちである.ここにはミカエルは登場しないが,玉座の周りでそれを支える天使たち(2人),玉座上部の左右で花を捧げる天使たち(2人),その外側にいる奏楽の天使たち(4人)と香炉を振る天使たち(2人)が美しく描かれている.

 さらに,有翼なので天使のようにも見えるが,明らかに女性である3人の人物がいる.向かって左側で塔を捧げ持つ「希望」(羅:スペース/伊:スペランツァ),聖母の足許で全体的オレンジ色に見える「愛(慈愛)」(カーリタース/カリタ),右下方にいる「信仰(信義)」(フィデース/フェーデ)の3つの神学的美徳の寓意像である.

 新約聖書の「コリント人への手紙」第1の13章13節に「それゆえ,信仰と,希望と,愛,この三つは,いつまでも残る.その中で最も大いなるものは,愛である」(新共同訳)とある.よくみると,玉座の基壇が3段になっていて,白い最下部にはフィデース,緑色の中段にはスペース,オレンジ色の上段にはカーリタースとラテン語で書かれており,それぞれの段に寓意像が腰かけている.

 ドゥッチョのマエスタでは玉座の周囲に多くの天使たちがいるが,役割分担は特に示されているようには見えず,強いて言えば左右の2人天使が玉座を支えているように見えるのはアンブロージョと共通しているかも知れない.

 シモーネ・マルティーニのマエスタでは玉座の左右の下部で跪いて花を捧げる天使がいる.しかし,ドッチョでもシモーネでも神学的美徳の寓意像は描かれていない.

 ウフィッツィ美術館にあるジョットのマエスタには,最下部の左右で花を活けた花瓶を持つ天使(2人),その上部で王冠と香炉を捧げ持つ天使(2人),その他の天使たちがいるが,寓意像は描かれていない.

 同じくウフィッツィにあるドゥッチョのマエスタ型の「ルチェッライの聖母子」では玉座を支える6人の天使たちが描かれているが,聖人も寓意像も描かれていない.ウフィッツィのチマブーエのマエスタ型聖母子でも6人の天使が玉座を支えているが,寓意像は描かれていない.

 サン・ジミニャーノにあるリッポ・メンミのマエスタも玉座の左右に立ち姿の天使が2人いるが,他には天使はおらず,もちろん寓意像も描かれていない.

 こうして見ると,マッサ・マリッティマのアンブロージョのマエスタは,随分斬新な作品だったのではないかと思われる.

 アンブロージョはマエスタ型の絵を少なくとも他に4点描いている.上記の番号で言うと19番の「小さな荘厳の聖母子」には6人の聖人と役割分担の無い6人の天使が描かれているが寓意像は描かれていない.10番のサンタゴスティーノ教会のフレスコ画では,ミカエルが美しく描かれているが,他には天使はおらず,寓意像も描かれていない.


右手前:サン・ガルガーノ・モンテシエーピ礼拝堂「荘厳の聖母子」のイヴ
背景:「善政の寓意」 左上に美徳の寓意


 9番のサン・ガルガーノ・モンテシエーピ礼拝堂のフレスコ画では,3つのリュネットのうち左右のリュネットに複数の天使たちが描かれているが,中央のリュネットの玉座の聖母子の周りには,花を捧げ持つ天使が2人描かれているだけで寓意像はない.

 ただし,聖母子の玉座の足許にまるで寓意像のような女性が描かれている.

 彼女が持っている巻紙には,古いイタリア語で,そのような解釈で良いかどうか自信が無いが,大体「私が(人類が背負う)罪を犯したが,それゆえにキリストは受難を蒙ることになり,そのキリストを将来この女王(=マリア)が(人類の)救済のために宿すことになる」と書かれていると思われ,その内容からイヴ(エヴァ)であろうと思われる.

 左手に禁断の木の実と葉のついた枝を持って,しどけなく横たわるイヴは,美しく蠱惑的で印象的であり,マッサ・マリッティマの3人の寓意像に匹敵する効果を作品に齎しているように思われる.

 宗教的には聖母の清純さを引き立ているかも知れないが,異教徒にとっては玉座の聖母子よりも目が行ってしまうこのイヴを観て,プッブリコ宮殿のフレスコ画「善政と悪政および,都市と周辺地域におけるそれらの結果の寓意画」の内,「善政の寓意」に描かれた女性像を想い起す.

 威厳を持って玉座に座る王と思われる人物の周りに,女性の姿で複数の美徳の寓意像が描かれているが,片肘をついてソファに横たわり,おそらく月桂樹の枝を右手に,頭には月桂冠を被った白装束の女性の上には,ラテン語で「平和」(パックス)と書かれている.

 特に目立つように思われるのは,白装束であることが大きな理由であろうが,美徳の寓意にしてはけだるい感じが表現されているように思え,サン・ガルガーノ・モンテシエーピ礼拝堂のイヴのように蠱惑的ではないが,ゴシック期の絵としては女性の持つ魅力(と男性が感じる要素)を大胆に表現しているように思われる.


アンブロージョ・ロレンゼッティの魅力
 この特別展のおかげで,アンブロージョの作品を残すところ,アメリカやハンガリーにある数点のみと言えるほど,殆どの作品を自分の目で見たことになるが,その上でなお,この画家のイメージをつかみ切るには,まだ時間がかかると思わざるを得ない.

 ただ,宗教画,寓意画の中に女性や,女性的な要素も持つ天使の姿を美しく魅力的に描いたことが彼の特徴の一つだとすれば,芸術上の出発点においてはフィレンツェの影響を色濃く受けたとしても,自己形成の過程で,故郷シエナの芸術的伝統を取り込んでいったのだろうと想像する.

 やがて,彼はその中で主要な役割を果たして,後進に大きな影響を与え,「シエナ派」の大山脈に聳え立つ高峰になっていったのではないか.間違いなくアンブロージョ・ロレンゼッティは魅力的な画家だが,まだまだ観るたびに自分の印象が変わってくるのではないかと予感している.

 特別展の最後の部屋には国立絵画館所蔵の「受胎告知」が展示されていた.天使が持っているのが棕櫚であれば,聖母への死の告知とも考えられるが,この作品に関しては概ね「受胎告知」とされている.

 これまでに何度かこの作品を観ているが,この体格の良い聖母と天使が描かれた「受胎告知」を美しいと思ったことはなかった.しかし,特別展の会場で一通りアンブロージョの作品を見た上で,最後にこの「受胎告知」を観て,初めて聖母の顔の繊細な美しさに気付いた.

 この「受胎告知」がアンブロージョの最後の作品ではないであろうが,1344年に描かれたのであれば,死の4年前であり,アンブロージョの芸術の一つの完成形になっているのではないかと思われた.






「受胎告知」の聖母(部分)
アンブロージョ・ロレンゼッティ