§2016 フィレンツェ研究出張余禄 - その1 ウフィッツィの古代石棺
4月1日にフィレンツェに向かって旅立つ前に,昨年8月に公費でフィレンツェに研究出張した際の見聞について少しでも報告しておきたい. |
研究テーマは,古代末期の詩人クラウディウス・クラウディアヌス(以下,クラウディアヌス)の作品を理解し,これをラテン文学の伝統の中に位置づけることだ.できるだけ多くの古代作品を観ることが,それに資する手がかりを得ることにつながればと思っている.
クラウディアヌスの時代には,フィレンツェの前身にあたる古代都市フロレンティア(フローレンティア)は既に存在していたが,決してこの時代の中心都市ではなく,メディオラヌム(メディオラーヌム)と言う古代名を持つミラノが,この時代の通称「西ローマ帝国」の首都であった.
後にラヴェンナに遷都されるが,宮廷詩人だったと考えられるクラウディアヌスの活躍の場は主としてミラノであったろうと思われる.
クラウディアヌスとフィレンツェとの接点は全くないのかと考えたとき,フィレンツェの古くからの守護聖人である聖レパラータの伝説のもとになった出来事を想起し,なにがしかの縁はフィレンツェとの間にもあるのではないかと思った.
フィレンツェに残る聖レパラータの伝説とは,後の時代のクラビホの戦いで大ヤコブが白馬に乗って現れ,イスラム教徒を蹴散らしたと言う伝説が形成されたように,ゲルマン人との闘いにおいて,聖レパラータの加護により,聖人の祝日にキリスト教ローマが勝利を収めたというものである.
西ローマ帝国の滅亡は476年,ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルの皇帝廃位に拠るとされるが,それに先立つ406年,ホノリウス皇帝治下の西ローマ帝国に,ゲルマン人による危機が訪れ,ファエスラエの戦い(英語版/伊語版ウィキペディア)と呼ばれる戦闘が行なわれた.ファエスラエは現在のフィエーゾレで,フィレンツェの近傍にある.
ファエスラエはエトルリア人の都市として栄え,紀元前1世紀にはローマ都市となっていた.この丘の上の都市の麓の低地に前1世紀半ばに建設された植民都市がフロレンティアである.後世の詩人ダンテはフィエーゾレを「フィレンツェの母」と言ったように,両都市は深い関係にあった.
戦勝を祝って,ホノリウス帝が当時のフロレンティアにこれを記念する教会を建立した,もしくは救世主に奉献された教会を聖レパラータの名を冠して教会に改めたのが,フィレンツエのドゥオーモの地下に遺構が公開されている聖レパラータ教会と言われている.
伝説はさておき,ファエスラエの戦いで,西ローマの危機を救ったのは,ヴァンダル人の血を引く英雄スティリコだった.スティリコはクラウディアヌスの最大の保護者だったので,ファエスラエの戦いでゲルマン軍を率いていたラダガエススを破ったスティリコの活躍を描いた作品をクラウディアヌスが残していても不思議はないが,無い.
そのことから,彼の死はファエスラエの戦い以前の404年頃だったのではないかと推測されているようだ.スティリコとの関係から連想した思いつきだったが,ファエスラエの戦いの時,既にクラウディアヌスは死んでいたとすれば,この詩人とフィレンツェを結びつけるのは,今のところ無理ということか.
「プロセルピナの誘拐」
クラウディアヌスの代表作は,未完の叙事詩『プロセルピナの誘拐』である.冥界の王ハデス(ローマではディスもしくはプルト)が,デメテル(ローマではケレス)の娘ペルセポネ(ローマではプロセルピナ)を誘拐し,王妃にするという神話に取材した作品だ.
今回,ウフィッツィ美術館で,この神話をモチーフにした石棺を写真に収めた.
石棺の由来については,ウェブページの情報だが,材料はギリシア産の大理石で,後2世紀のローマの工房で制作され,ローマのサン・シルヴェストロ教会(これがサン・シルヴェストロ・イン・カピテ教会のことであれば,私たちも一度拝観して報告している)にあったものがフィレンツェで個人のコレクションに入り,1787年にウフィッツィ宮殿,1943年から一時,フィレンツェ県ディコマーノのサントノフリオ祈祷堂に置かれ,1945年からウフィッツィ美術館に置かれているとのことだ.
最後2回の移動は,年代から言って第二次世界大戦とその終結と関係があるであろうか.
写真:「プロセルピナの誘拐」の浮彫がある石棺 (ウフィッツィ美術館) |
この石棺の長面パネルは,両端に同じ姿の女性がいて,これが画面の枠になっているように思われ,冠をつけ有翼のように見えるので何らかの女神であろう.一人ならば勝利の女神ニケ(ウィクトリア)とか,虹の女神イリスが思いつくが,左右対称にこちらを見ているので,あくまでも枠の役割を果てしているに過ぎないかも知れない.
パネルの(向かって)左側にいる松明を持った女性は,2匹の蛇が牽く車に乗っているので,デメテルであろう.
蛇の下にいる胸を露わにした女性は誰かわからないが,オウィディウス『変身物語』を参考にすると,シチリアの泉の女神アレトゥサであろうと思われる.誘拐を目の当たりにしたキュアネ(後述)はハデスに空しい訴えをするが,アレトゥサは,娘を探しに来たデメテルに事件を報告する.
その隣の,2人の女性に囲まれた女神と思われる人物はアプロディテ(ウェヌス)であろう.アプロディテが伸ばした手は,兜を被ったアテナ(ミネルウァ)の楯を掴んでいる.
アテナの右にいる,少女を攫う中年の男性はもちろんハデスで,少女はペルセポネなのは明らかだ.4頭だての馬車(クァドリガ)に乗っているはずだが,馬は写真で見る限り2頭しか確認できない.馬の上に浮遊している有翼の子どもはエロス(クピド/アモル)だ.
馬車の下に豊穣の角を持った女性がいるが,ペルセポネの誘拐を阻止しようとして失敗し,泉に変身したニンフのキュアネであろう.
左端に近い男性は,プリュギア帽を被り,2匹の蛇が巻き付いた杖を持っているのでヘルメス(メルクリウス)である.
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写真:
ハデスに語りかける
アテナの楯を掴む
アプロディテ |
この場面にアテナが登場するのは,処女神が,この時点ではまだ自分たち(他にはアルテミスなど)の側にいるペルセポネが,恋愛と結婚に巻き込まれるのを阻止しようとしてであろうか.アテナがハデスの恋の成就を後押ししたと言う神話は,少なくとも私は知らない.
エウリピデス『ヒッポリュトス』に見られるように,愛欲の原理の側に立つのがアプロディテとすれば,その対立原理を代表するのは通常はアルテミスだが,ここではアテナがその役割を果たしていると考えられる.
2015年にヴェネツィアの考古学博物館で見た同じモチーフの石棺パネルの考察の際に,Web上にある,このウフィッツィの石棺を参考にし,その時は松明を持つ女性をエリニュス,アテナの楯にすがる女性をデメテルとしたが,上記のように,松明を持つのはデメテル,アテナの楯を掴むのはアプロディテと考えを変えた.
オウィディウス『変身物語』では,ペルセポネの誘拐の物語に区切りがついた段階で,トリプトレモスに渡す車に2頭の竜をつなぐという言及があるので,蛇の牽く車に乗っているのは大地母神でもあるデメテルであろう.
彼女が松明を持っている理由については何か根拠を考えないといけない.
「ペルセポネの誘拐」の登場人物について,Web上で見られる幾つかの図像を基に整理してみる.
ウェブ検索でヒットしたアーヘン大聖堂宝物館の石棺は,後3世紀にローマの工房で作られたと推測され,カッラーラ産の大理石を材料としている.アーヘンにあるのは,この棺にカール大帝が葬られたする説もあることと関係しているかも知れない.
向かって左端に,蛇の牽く車に乗るデメテルがいて,その手にはやはり松明がある.御者の少年はトリプトレモスとも思えるが,オウィディウスでは誘拐の時点ではトリプトレモスへの言及がないし,浮彫も少女に見える.その右の浮遊している女性を英語版ウィキペディアはアプロディテ(ウェヌス),その下方にいる2人の女性は,ペルセポネの侍女たちとしている.
アプロディテの右の有翼の幼児はエロス,隣の兜を被った女性はアテナで,さらに右の馬車に乗った男性が女性を攫っているのはもちろんハデスとペルセポネである.
オウィディウスの『変身物語』では,アプロディテ(もちろんこの作品ではラテン語名のウェヌス)はこの誘拐の企画者で,アテナとアルテミスはアプロディテの権能である「愛」を拒絶する者たちとして言及され,このままではペルセポネもそうなるという危機感を持ったアプロディテが,エロスに矢を射ることを命じ,ハデスがペルセポネを恋し,実力行使に出るように仕向ける.
馬たちの頭上にも有翼の幼児がいるが,エロスが複数いる(そういう考えもあり,クラウディアヌスの「パラディウスとケレリナの祝婚歌」にも出てくる)のか,それぞれエロスが活躍する2つの場面が連続して表現されているのかはわからない.
ハデスの乗る馬車は四頭立てで,それを先導するのはヘルメスであり,彼の足元には3つの首を持つ冥界の番犬ケルベロスがいる.馬の下部に横たわる半裸の女性,その右に上半身のみの男性(水面から出ているのであれば,何らかの川の神か)は,今のところ特定できない.
ただ,オウィディウス『変身物語』第5巻をヒントに考えると,ペルセポネ(『変身物語』ではプロセルピナ)の誘拐を阻止しようとした泉のニンフであるキュアネと,その夫とされる河神アナポスの可能性はあるだろう.
アメリカ,メリーランド州ボルティモアのウォルターズ・アート・ミュジアムの石棺の写真とその英語解説がウェブ上で見られる.さらにこの石棺に関しては,やはりウェブ上のこの美術館発行のジャーナル掲載の紹介文(1978年)もある.
この石棺でも,向かって左端にデメテルがおり,松明を持っているのは同じだが,彼女の乗る車は馬が牽いている.その馬の鼻先にいる若者は蛇が巻いている杖を持っているので,ヘルメスに見える.
この石棺の右端にも明らかにヘルメスと分かる人物がいるが,この場合,石棺パネルの左右で2つの場面を描いていると考えると,一応そのことは説明できるように思う.右端のヘルメスの左側に四頭立ての馬車とペルセポネを攫うハデスがおり,その上部ではエロスが松明を持っている.
ペルセポネの左の女性は兜を被っているのでアテネで間違いないだろう.さらにその左の女性は短衣を着ていて,これが狩りをするための服装だとすればアルテミスと想像できる(ウォルターズ博物館の解説はそのように説明している).
このアテナとアルテミスの間がちょうど真ん中なので,左右がそれぞれ別の場面だと考えれば,ヘルメスが2人いることも説明がつく.
ウフィッツィ,アーヘン大聖堂宝物館,ウォルターズ美術館の石棺パネルは細部の違いはさておき,どれも同工異曲にも思えるが,前2者については,左端に置かれたデメテルが右側で攫われたペルセポネを探しているという連続性を感じさせる.
共通する登場人物は,冥界の王ハデス,攫われるペルセポネ,その母デメテル,アプロディテ,エロス,アテナ,ヘルメスで,それ以外に登場することもあるのは,アルテミス,泉のニンフ(神),侍女くらいであろうか.
さて,実際にこの目で見た「ペルセポネの誘拐」の古代図像は,今回のウフィッツィを除けば,2015年にヴェネツィアの考古学博物館で見ただけだと思っていた.
ヴェネツィアの作品は石棺パネルの断片と思われるもので,左右のプットーが持つ1本の花綱が造る下向きの弧の上に,ハデスがペルセポネを誘拐する浮彫が小さく施されているが,一見,プットーと花綱の方が目を惹く.
実はその前年にカピトリーニ博物館で,それよりも本格的な「ペルセポネの誘拐」の石棺を見ていた.この石棺の蓋の上に「蛇を殺す幼児ヘラクレス」を含む3体の彫刻が乗っているものだから,皇帝カラカラの幼児期をヘラクレスになぞらえたと言われる彫刻の方に目が行ってしまい,3体の彫刻も含めて写真は撮っていたが,記憶に残っていなかった.

写真:「プロセルピナの誘拐」の浮彫がある石棺 (カピトリーニ博物館)
2014年8月15日撮影 |
一応,左端に蛇の牽く車に乗るデメテル,アテナ,ヘルメスと言った,他の石棺にも出てくる主な人物は揃っているが,ペルセポネはハデスと並んで馬車に乗っており,「誘拐」の場面には見えない.
ハデスの右上にかろうじて顔の見える少年は松明を持っているのでエロスであろう.ハデスの馬車を先導するのは例によってヘルメスだが,その右にいるのは棕櫚を持っているのでニケであろう.その隣の右端の人物は棍棒を持っているのでヘラクレスであろう.
この神話には通常ヘラクレスは出てこないので,生きて冥界を訪ねケルベロスを地上に連れて行って人物として,冥界と地上の区切りを示していると考えられる(ウェブ上にこの石棺の写真があり,そこでの説明もそのようになっている.このページではヘラクレスの足元にいるのはケルベロスと言っているが,そうかも知れないし,そうではないかも知れない).
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写真:
ペルセポネを襲うハデス |
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左端のデメテルの車と中央のハデスの馬車の間に,男性が女性を杖で突いている場面がある.これは多分『変身物語』に出てくる,ペルセポネの誘拐を阻止しようとするキュアネをハデスが退けている場面かと思ったが,どうもペルセポネ自身にハデスが襲い掛かっている場面のようだ.
最初はその頭上に見える女性がペルセポネかも知れないと思ったが,襲われているのがペルセポネなら,この女性はハデスの恋心を焚きつけているアプロディテとも考えられる.
以上のことを考えている過程で,アメリカ・アマゾンに注文していた本が届いた.
Barbara E. Borg, Crisis & Ambition: Tombs and Burial Costoms in Third
Century CE Rome, Oxford University Press, 2013
であるが,この本の中で,メッシーナとベルリンにある石棺と並んで,カピトリーニのこの主題の石棺が取り上げられている(pp. 164-167).そこから学んで,幾つか自分の考えを変えたが,そこに書かれていることの全てが理解できたわけではない.
しかし,同じ主題であっても中央に誘拐の場面があって,ペルセポネが激しく抵抗している場合は,石棺に納められた女性の突然の死を悼むものであり,カピトリーニの石棺のように,ペルセポネがハデスと仲睦まじく馬車に乗っている場面が描かれている場合は,やはり登場しているニケやヘラクレスと並んで,死への勝利を意味しており,死者である女性の魅力への称賛が込められていると言う考えは,石棺の図像解釈と言う点で,示唆的であるように思われた.賛否は保留する.
ともかく,これで「プロセルピナの誘拐」の石棺を,カピトリーニ博物館,ウフィッツィ美術館,小さなものではあるがヴェネツィアの考古学博物館で実物を,計3つ見ることができたことになる.
写真で参照した,ラッファダーリ,アーヘン,ウォルターズ美術館の石棺も機会があれば,いつの日か鑑賞したい.やはり,似ているのに,それぞれ微妙に違う所がおもしろいように思える.
ウフィッツィの石棺では,他に「パエトンの失墜」,「パイドラとヒッポリュトス」があり,さらに「ヘラクレスの十二の功業」,「カリュドンの猪狩り」,また後述する「ニオベの部屋」には,あるローマ貴族の生涯を描いたと思われるものがあった.
「パエトンの失墜」もエルミタージュ美術館,ヴェネツィアの国立考古学博物館で同主題の浮彫パネルのある石棺を見ているし,「パイドラとヒッポリュトス」の石棺も,ピサのカンポ・サント,ルーヴル美術館で観ている.ただ,ウフィッツィの「パイドラとヒッポリュトス」の石棺では,幼児のエロスがパエドラに松明を強い意志でつきつけているのが印象深く,少なくとも私は今まで観たことがなかった.

写真:「パイドラとヒッポリュトス」の浮彫がある石棺 (ウフィッツィ美術館) |
今回の石棺に関する最も新しい発見は,「パイドラとヒッポリュトス」の石棺の中に,椅子に腰かけて苦悩しているパイドラに松明をつきつける幼児の浮彫を観ることができたことだろう.もちろんその幼児は有翼のエロスで,その顔が険しく,悪意があるように感じられ,可愛くない幼児の図像というのは珍しいように思う.
ルーヴル美術館で見た「パイドラとヒッポリュトス」の石棺では,エロスは椅子で悩むパエドラの膝に手をかけ,左腕に恋心を指先から注入するような何らかの働きかけをしているが,有翼ではあっても松明は持っていないし,撮ってきた写真では細かいところまではわからないが,無邪気にじゃれつく猫のように愛嬌があり,ウフィッツィのエロスのように悪意は感じない.
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写真:
パイドラに松明を
突きつけるエロス |
パイドラの悲恋もしくは邪恋の背後にいるのは,パイドラにとっては祖父にあたる太陽神ヘリオスに私怨のあるアプロディテで,この女神の命令でエロスが実行者となっている.このパターンは,少なくとも『変身物語』に拠るならば,「ペルセポネの誘拐」も同じである.
ウォルターズ博物館の石棺「ペルセポネの誘拐」には,松明を振るうエロスが登場する.しかし,浮遊しながら松明をかかげるウォルターズの石棺に対し,ウフィッツィの「パイドラとヒッポリュトス」では,有翼でありながら,大地に踏ん張って松明を突きつける姿に強い意志を感じる.一目見たら忘れられない.
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写真:
「ローマ人貴族の生涯」
後2世紀の石棺 |
ウフィッツィ所蔵の古代石棺では,ローマの一将軍の生涯を描いたと思われるものが貴重な作例であろう.英訳版の案内書,
Giovanni di Pasquale / Fabrizio Paolucci, tr., Catherine Frost, Uffizi:
The Ancient Sculptures, 2001
に解説がある(pp.74-75).
向かって左短側面には,鎧を着て槍を持ち,腰かけて従者に脛あてを付けさせている場面があり,そこから正面の長側面にかけて,狩りをする姿,次の場面は詳細には分からないが,貧しい者に施しをしているようにも見える.おそらく政治家としてキャリアを積んでいく一環ではないかと思われる.その場面の枠を作っている2人の若者は公的な従者であろうか.
その右は神殿の前で牛を犠牲に捧げる場面であり,犠牲の係りの者が斧を振り上げ,おそらく主人公と思われる人物はそれを眺めながら,香を焚いているように見え,少年なのか小さな人物がアウロス笛を吹いている.そのさらに右の長側面の右端は,多分結婚の場面と思われる.
右短側面には腰かける女性に手を伸ばす幼児がおり,その周辺は複数の場面だが,子どもの教育を現しているように見える.美術館の解説板には,主人公の倫理的諸徳を表わしている場面があるとしているが,右短側面の浮彫のことを言っているのはどうかわからない.
裏側長側面には,棺に入れられた人物に関する碑銘があるそうだが,これは近づかないように張られた縄を越えないと見られないので,もちろん見ていない.上記,英訳案内書にも,美術館の解説板にも情報はなかった.
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主不在の留守宅を守る茶トラ
一人旅につき当分,筆者の写真はありません
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