§フランスの旅 - その15
ルーブル7 − 古典と神話の世界
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ヨーロッパ絵画のかなりの割合を占めるのが,キリスト教の宗教画と,ギリシア神話やローマ史,古代の英雄伝説を題材にした作品だと言われる.
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キリスト教と言っても,プロテスタントは宗教画を偶像崇拝の恐れから排斥するし,東方正教会もイコノクラスム(聖像破壊)を経ながら,偶像崇拝の疑いとの葛藤をへて,「イコン」と呼ばれる独特の宗教画を形成しているので,キリスト教絵画と言っても,問題となるのはローマ・カトリックを中心とする西欧世界の場合と考えてよいだろう.
また,西欧芸術のかなりの割合をキリスト教と古典の題材が占めると言っても,おそらく前者の比重が圧倒的に高く,古典古代を題材にした作品は思ったよりも多くない.傑作として観る者の心を打つのも,圧倒的にキリスト教絵画だと思う.
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しかし,15世紀後半のいわゆる盛期ルネサンスの時代,イタリアでは,14世紀からの人文主義の影響により,古代ギリシア・ローマの文化を尊重する人が多くなる.
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やがて,成功した商人たち,政治権力を握り,軍事力を行使する君主たち,何よりも,教会で枢要な地位につく人たちの中にも人文主義に染まった人が増え,宮殿や邸宅の装飾などの目的で,古典を題材にした絵画が描かれるようになった.
よく知られるボッティチェリの「春」や「ヴィーナスの誕生」は,本家筋ではないにせよ,フィレンツェで有力だったメディチ家一族に関連する注文によって描かれたと思われる.
16世紀になると,キリスト教主題も含むが,「アテネの学堂」など,ヴァティカン宮殿の「署名の間」のラファエロの装飾画,ファルネジーナ荘のラファエロ,ピオンボ,ソドマの壁画,ファルネーゼ宮殿のアンニーバレ・カッラッチの天井画を含む室内装飾などに,古典の主題が見られる.
やはり16世紀以降だが,フィレンツェ近郊のメディチ家別荘群には,アンドレア・デル・サルト,フランチャビージョ,ポントルモなどによって描かれた古典主題の装飾画が見られるようになる.1500年前後のローマ時代の遺跡発掘も大きな影響を与えたが,それ自体がやはり人文主義的志向の産物であろう.
フィレンツェの画家では,ボッティチェリ,ギルランダイオなど,1450年代生まれの画家には古典主題の絵が存在するのはよく知られている.前者は意外に少ないが,それでも「春」,「ヴィーナスの誕生」は知らない人の方が少ないだろう.ギルランダイオはフィレンツェのヴェッキオ宮殿に,キケロなどのローマ人の立ち姿の肖像を描いている.ほぼ同世代のペルジーノが監督したペルージャの両替商組合のフレスコ画の中にも6人の古代の英雄たちと6人の古代の賢者たちが描かれている.
それ以前に生まれた人には,古典主題の作品はあるのだろうか.
1416年頃の生まれとされるピエロ・デッラ・フランチェスカの場合,1460年頃に故郷サンセポルクロにギリシア神話のフレスコ画を描き,その一部である「ヘラクレス」は現在,ボストンのイザベラ・ステュワート・ガードナー美術館にあるとのことだ.実際にその作品を見て,彼の宗教画から得られるような感銘を受けるかどうかは疑問に思うが,絵柄を見る限り,棍棒とライオンの毛皮(首の前の結び目のところに前足を認識できる)がアトリビュートなので,ヘラクレスで間違いないだろう.
その前の世代のマゾリーノ,マザッチョ,フラ・アンジェリコには,古典主題の絵画は存在するのだろうか.
彼らより,ずっと前の世代の彫刻家(1250年頃の生まれ)ジョヴァンニ・ピザーノが,14世紀になったばかりの頃,ピサの大聖堂に造った説教壇を支える柱に明らかに「ヘラクレス」と思われる人物を彫っている.
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写真:
ジョヴァンニ・ピザーノ
ピサ大聖堂説教壇の彫刻
(おそらくヘラクレス)
14世紀初頭 |
この説教壇には,胸と腰部に手を当てた,紀元前4世紀後半のプラクシテレス以来の「羞恥のヴィーナス」(ラテン語でウェヌス・プディカと称される)の格好の女性が彫り込まれている.
15世紀前半にフィレンツェのサンタ・マリーア・デル・カルミネ教会のブランカッチ礼拝堂に描かれた一連のマザッチョのフレスコ画のうち,柱にある「楽園追放」の場面で,イヴが,このウェヌス・プディカの恰好をしていることは良く知られている.
「古典」に起源のあるモティーフは細々とではあるが続いていたことがわかるし,シエナの天才彫刻家ヤコポ・デッラ・クエルチャが,ピサのカンポ・サントにある古代石棺の浮彫彫刻を見て刺激を受けたのではないかと言われることもある.
ローマ建国伝説
いきなり17世紀に跳ぶが,下の絵は,室内装飾の壁画や天井画,建築においても一家をなしたバロックの巨匠ピエトロ・ダ・コルトーナが,ローマ最大の詩人ウェルギリウスの叙事詩『アエネイス』に取材した作品だ.
以前にも書いたが,この絵は,大学生の時,ミュンヘンの町のレコード屋で買ったヘンリー・パーセルの小歌劇「ディドーとアエネアス」のLP(再生装置もないのに,大切に保存していたが,津波で亡失した.稀少なLPもあり,引退後余裕ができたら,再生装置を買って聴こうと思っていたが,すべてのLPが無くなったので,再生装置を買う意味も無くなって,まさに夢幻となった)のジャケットに使われていて,ずっと憧れていた.
後に,画集やウェブページで幾分かの情報を得ることができたし,実は日本の特別展で一度見ていた可能性があるのだが,ようやくのことで,それと認識しながら,実物に出会うことできた.
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写真:
ピエトロ・ダ・コルトーナ
「アエネアスの前に現れる
ヴィーナス」
1631年 |
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トロイア亡命後,クレタ,イタリア東海岸,シチリアを経てイタリア西海岸の中部を目指しながら,嵐で北アフリカのカルタゴに漂着したアエネアスと腹心アカテスの前に,アエネアスの母である女神ウェヌス(アプロディテ)が狩りをする少女の姿で現れ,カルタゴの女王ディドーを訪ねるように助言する場面である.
上方に矢をつがえた弓を引いているクピド(エロス)がいるのは,これからアエネアスとディドーの恋愛物語が始まることを示唆している.大きさと言い,色彩といい,見事な絵だが,今,この作品自体の素晴らしさに心揺さぶられるような心性にない.
ルーヴルには,捨て子にされたロムルスとレムスの双子が拾われる絵もあり,ギリシア神話だけではなく,ローマの建国伝説が画題として注文が多く,画家の関心も引いていたことがよくわかる.
ピエトロ・ダ・コルトーナの絵に,幾何学的均衡,写実を踏まえた理想化の傾向が見られるとしたら,それを古典主義的と言って良いと思うが,そうした志向が18世紀末から19世紀初頭に復興したのが「新古典主義」と考えて良いかも知れない.
ローマのカピトリーニ博物館で見られるピエトロ・ダ・コルトーナの絵に,「サビーニーの女たちの略奪」がある.ローマを建国したロムルスが,集まった若者たちに配偶者を得るために,競技会を見物に来たサビーニー族の女性たちを誘拐してしまうと言う荒々しい物語だが,これもローマの建国伝説の挿話の一つとして良く知られている.
サビーニー族の男たちが,娘や姉妹を取り戻すためにローマに責め行ったとき,すでに子どももいた女性たちが,夫たちと父や兄の間に仲裁に入る絵(「サビーニー族の女たちの仲裁」)をダヴィッドが描いている.ピエトロの絵は,1620年代後半の作で,ダヴィッドの作品が18世紀が終わろうとする1799年に描かれたので,時代差が約170年で,相当間が置かれていることになる.
「サヴィーニーの女たちの略奪」を1630年代後半,すなわちピエトロ・ダ・コルトーナの同時代のすぐ後に描いたのはニコラ・プサンで,少なくとも2点がメトロポリタン美術館とルーヴル美術館で見られる.写真で判断する限り,前者の方が圧倒的に良いように思われるが,今回,後者は実物を見ることができた.
「サビーニー族の女たちの略奪」という題材を絵画にした,有名画家としては,第2次ヴェネツィア派の先駆けとなったセバスティアーノ・リッチと,1609年生まれのドイツの画家ヨハン・ハインリッヒ・シェーンフェルト(ルーヴルには「三位一体の礼拝」があるようだ),ルーベンス,ロンバルディア出身でシエナで活躍したルネサンスの画家ソドマ(ジョヴァンニ=アントニオ・バッツィ)の名前が挙げられる.
リッチは「仲裁」の絵も描いているが,こちらのテーマでは,ルーヴル所蔵のグエルチーノの作品「ロムルスとタティウスの間を分けるヘルシリア」もある.
ソドマの作品は「レア・シルウィアの物語」とも考えられたことあるようだが,それでもロムルスとレムスの母の話だから,やはりローマ建国伝説にまつわるものだ.
バロックから新古典主義へ
バロックの巨匠ピエトロ・ダ・コルトーナ(1596-1669)も持っていた古典主義的精神を,それぞれ別の形で体現したフランス人の代表がニコラ・プサン(1594-1665)とクロード・ロラン(1600-1682)と言って良いだろう.2人ともフランス生まれのフランス人だが,イタリアで活躍し,ローマで亡くなっている.生没年で比較すると,3人ともほぼ同時代人であることがわかる.
「バロックの巨匠」たちの生年は,カラヴァッジョが1571年頃,グイド・レーニが1575年,ルーベンスが1577年で,彼らよりも前の世代になるが,ジャン=ロレンツォ・ベルニーニは1598年の生まれなので,上の3人と同世代だ.
スペイン出身の画家では,リベーラが1591年と少し早いが,スルバランは1598年なのでやはり上記の3人と同世代ということになる.ドメニキーノ1581年,ランフランコ1582年,グエルチーノ1591年,ヴァン・ダイクは1599年だから,グエルチーノとヴァン・ダイクは上記3人と同世代と言っても良いだろう.
後進としてはレンブラント1606年,ムリーリョ1617年頃が挙げられ,フェルメールになると1632年で,すでに同じ時代に生きたとは言えない.
ローマで活躍したボローニャの画家たちの祖とも言うべき,カッラッチ兄弟と従兄の中で最も若いアンニーバレが1560年の生まれであるのは,私たちには都合が良い.ローマのサンタ・マリーア・デル・ポポロ教会にチェラージ礼拝堂は中央の壁にアンニーバレ,その左右の壁にカラヴァッジョの絵があり,この空間では芸術家たちの個性だけではなく,時代差,世代差がせめぎ合っていると思いたい.
そうした16世紀,17世紀,18世紀の流行や葛藤を経て,ダヴィッドなどの新古典主義が出てくる.
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写真:
ダヴィッド
「テルモピュライのレオニダス」
1814年 |
上の絵は,ヘロドトスの『歴史』で語られる,一連の「ペルシア戦争」に際して,ペルシアの大軍を迎え撃った,レオニダス王に率いられた300人のスパルタ(ラケダンイモン)軍兵士がテルモピュライで玉砕し,それがサラミスの海戦,プラタイアイの戦いの大勝利につながるという歴史的事件に取材した作品だ.
古典古代学の着実な進歩により,それまでの多くの古典主題作品に見られるアナクロニズムは,可能な限り排除されているが,もちろん,紀元前480年の事件を直接見て描いたわけではないので,画家の芸術的想像の産物であることに代わりはない.
ヘロドトス『歴史』には,玉砕した兵士たちへの,合唱抒情詩人シモニデスの追悼詩が収録されている.現在もテルモピュライには新たに建てられた碑にシモニデスの詩が刻まれている.
オー クセイン アンゲイロン ラケダイモニオイス ホティ テーイデ
ケイメタ トイス ケイノーン レーマスィ ペイトメノイ
道行く人よ 伝えておくれ ラケダイモーンの人々に この地に
我ら 倒れたり 彼らの言葉に 従いしゆえ
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写真:
クロード・ロラン
「タルソスに上陸するクレオ
パトラのいる港の風景」
1642-43年 |
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クロード・ロランの絵を見て,「古典主義」と言う用語を思い浮かべることには若干以上の抵抗があるかも知れない.端正で理想化された姿の人物が前面に出てくる,ピエトロ・ダ・コルトーナやプッサンの絵に比べて,少なくとも私が何作かの実物を見たり,画集やウェブページの写真で見た限り,ロランの絵では,人物よりも背景となる風景や都市景観の印象が強い.もちろん,人物が多くの場合群像として登場し,そこに物語を見る人は読み取るので,純粋な風景画ではない.
ロランの絵は好きだが,これが古典主題であることに本質的意味があるかどうかは疑問だ.作品の題名を見ずに,これをクレオパトラがタルソスの港に上陸する場面であると思うのには,古典の知識だけでは足りないのではないだろうか.「そう言われれば,そうかも知れない」と少なくとも,私程度の知識では思うだけだ.
ルーヴルに所蔵されているロランの絵は,データベースで数えると17点だが,多くは風景画のように見え,題名によって古典主題と分かる作品は,上の作品の他に,「パリスとオイノネのいる風景」,「オデュッセウスもしくはアエネアスの乗船」(ウェブ・ギャラリー・オヴ・アートでは「パイエケス人の島から船出するオデュッセウス」),「クリュセイスを父のもとに帰すオデュッセウス」の3点があるので,計4点ということであろうか.
たとえばウェブ・ギャラリー・オヴ・アートで,ロラン(ロレーヌ地方出身故の通称のようだが,ここではこの呼称で通す)の作品を通覧すると,田園風景の中に小さく描かれた神話,聖書その他の登場人物,また古典や聖書の有名な人物が乗船して船出するか,下船して上陸する港の場面の絵が多く,ルーヴルの古典主題諸作品もこの一連の作品群の中のもとの言えよう.
ロランの作品では,主役はあくまでも風景のように思える.古代神殿や,巨大建築物が出てくると,単なる風景とは違うし,人物群像も丁寧に描かれているので,彼を「風景画家」と言うのは,正確ではないだろう.それでも彼の古典主題は作品に本質的なものとは思えず,風景こそが彼の創作動機であり,注文主の志向だったのだろうと思う.
ギリシア神話から
ソドマには「エロスを伴う地上のヴィーナスと,反エロスを伴う天上のヴィーナスと他のキューピッドたち」(愛の寓意)という作品がルーヴルにあるが,このような寓意を込めるタイプの絵画も少なくない.マンテーニャの「マルスとヴィーナス」(パルナッソス)はそのタイプの作品と考えられる.
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写真:
アンドレア・マンテーニャ
「マルスとヴィーナス」
(パルナッソス)
1497年 |
この絵はマントヴァ公爵夫人イザベッラ・デステの書斎に,コレッジョ,ペルジーノ,ロレンツォ・コスタの作品とともにあり,リシュリュー枢機卿からルイ14世,最終的にルーヴルの所有となった.「美徳の勝利」も同じ経緯でルーヴルにある.
不倫のマルスとウェヌス(ヴィーナス)は,危うい幸福,向かって左側の洞窟で矢を番えるヘパイストス(ウルカヌス)は嫉妬,左手前で竪琴を弾くアポロは快楽,その伴奏で踊っているミューズたちは真の幸福,右側でペガソスを制御しているヘルメス(メルクリウス)は節制の寓意だと思いたいが,どうだろうか.ヘパイストスに吹き矢を放つエロス(キューピッド)は,やはりその名の通り欲望の寓意であろうか.
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写真:
グイド・レーニ
「ケンタウロスにさらわれるデイアネイラ」
1617-19年 |
グイド・レーニは未だに,私にとって謎の画家だ.宮下規久朗はローマのサン・ロレンツォ・イン・ルチーナ聖堂のレーニ「磔刑像」を絶賛(『世界歴史の旅 イタリア・バロック 美術と建築』山川出版社,2006,p.63)して,「その場で出会わなければ,そのすばらしさはわからないだろう」と言っているが,私はボローニャの国立絵画館で彼の「キリスト磔刑」を見て惚れ惚れした.
間違いなく宗教画に力を発揮する画家であるのは,ボローニャのサン・ドメニコ聖堂の半穹窿型天井のフレスコ画「聖ドメニコの栄光」からも明らかだが,古典主題の絵画も高い評価を受けている.
カポディモンテ美術館の「アタランタとヒッポメネス」は,西洋美術館の特別展で日本にも来たが,それほどの感銘は受けなかった.しかし,ほとんど同じ絵柄の作品がプラド美術館にもあるので,彼は古典主題の画家として人気があったのだろう.プラドの作品はカポディモンテの作品よりも12,3年古いので,同じように書いて欲しいという注文があったとしか思えない.
デイアネイラはヘラクレス(ヘルクレス)の2番目の妻で,横恋慕した半人半馬のケンタウロス族のネッソスが彼女を襲ったが,ヘラクレスに殺された.彼は死ぬ間際,デイアネイラに,もし夫が他の女性に心を移しかけた時に愛を回復する薬として水蛇の毒を渡した.ヘラクレスの心がイオレに移った時,デイアネイラはこの薬をヘラクレスの衣に塗り,そのために英雄はオイテ(オエタ)の山で死に,昇天した.ソポクレスの『トラキスの女たち』,セネカ作と伝えられる『オエタ山上のヘルクレス』に扱われた題材だ.
『変身物語』から
テーバイの王子アクタイオンは,鹿狩りに行って,泉で水浴びするアルテミス(ディアナ)の姿を見てしまい,その呪いによって,鹿の姿に変えられえ,自分が連れていった猟犬に喰い殺される.
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ジュゼッペ・チェーザリ
「ディアナとアクタイオン」
1605年頃 |
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「アルピーノの騎士」(カヴァリエール・ダルピーノ)と通称されるチェーザリは,自身はローマで生まれ,ローマで死んだが,父親はローマ時代にマリウスとキケロを生んだアルピーヌムの後進アルピーノの出身で,マニエリスムの時代の画家として知られ,カラヴァッジョがその助手を勤めながら,チェーザリに嫉妬したほどの売れっ子だったことが知られている.
現在の評価はカラヴァッジョの足元にも及ばないが,当時は天才が妬むほど,注文を受けた第一線の画家だった.師匠とされるニッコロ・チルチニャーニ,通称ポマランチョも今は忘れらた画家だが,現在はピサ県に属するトスカーナの小邑ポマランチェ出身で,ローマの教会の諸方で作品を見ることができる,当時活躍した画匠だった.
アクタイオンの絵は,1578年生まれのボローニャの画家フランチェスコ・アルバーニの作品がやはりルーヴルにある.この物語は,ローマ時代の詩人(紀元後1世紀前半に活躍)オウィディウスの『変身物語』に取材したものだ.『変身物語』はラテン語で書かれたローマ時代の作品だが,絵画でも文学でも,ルネサンスの芸術家たちが,ギリシア神話に関して,その題材の参考にした物語詩だ.
『変身物語』第1巻で歌われたのが,「アポロンとダプネ」の悲恋物語だ.ローマのボルゲーゼ美術館にある,バロック彫刻の巨匠ジャン=ロレンツォ・ベルニーニの作品が有名だが,ルーヴルにはニコラ・プッサンの作品もある.
しかし,何と言ってもティエポロだ.この作品が最もオウィディウスを理解しているように思われる.1745年前後の作品なので,ルネサンス期にはまだ暗中模索の感がある古典に関する知識が,一般にも定着した時代であろう.
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ジョヴァンニ・バッティスタ・
ティエポロ
「アポロンとダフネ」 |
ティエポロの作品を今まで,心から感動して見たことがない.しかし,今までも授業で何の気なく何度も写真を使っていたこの作品を,実物を見て,初めて心からジョヴァンニ=バッティスタ(ジャンバッティスタ)・ティエポロという画家に心酔した.第2次ヴェネツィア派では,今ままで寧ろ,先行するピアッツェッタが良いと思っていた.ピアッツェッタは今後も評価し続けると思うが,ティエポロにもようやく開眼できたように思う.
彼の作品は他に,データベースに拠れば,ルーヴルに8点あり,うち6点がカンヴァス画(エッケ・ホモ/最後の晩餐/聖母子/聖サイモン・ストックの前に現れた聖母子/ダヴィデの凱旋/聖母の教育)があり,古典主題の作品は「アポロンとダフネ」だけで,他のカンヴァス画は全部キリスト教絵画だ.作品の一般的な評価はわからないが,個人的には「最後の晩餐」が見られて良かった.
息子のジャンドメニコの作品も7点あり,父から引きついだ主題である宗教画もあるが,「カーニヴァルの風景あるいはメヌエット」という作品が印象に残り,風俗画家として成功を収めた(宮下規久朗,前掲書,p.131)彼の面目躍如という感じがする.
ジョヴァンニ=バッティスタ・ピアッツェッタの作品はただ一つ「聖母被昇天」であるが,ジャナントーニオ・ペッレグレーニの「バッカスとアリアドネ」,「ディアナとエンデュミオン」を上部の,ガスパーレ・トラヴェルシの「喧嘩」,「肖像画のポーズ」を下部に,それぞれ左右に配した展示は,目を惹く.特に,師弟関係のない,世代も志向も違う3人の画家の宗教画,神話画,風俗画を並べた意図はは分からないが,成功した展示だと思う.細長い「聖母被昇天」が映えていた.
15世紀の巨匠アントーニオ・デル・ポッライオーロの「アポロンとダフネ」(ロンドン・ナショナル・ギャラリー)と比べると,ティエポロの新しさは,より輝いて見えるが,それでも,このテーマをずいぶん昔に扱ったという意味で,ポッライオーロの作例は貴重だ.
ポッライオーロの次の世代にあたるペルジーノも,宗教画は素晴らしいが,古典主題の作品には,どこかこなれていないところがある.
『変身物語』には,音楽の技量でアポロンに挑んだマルシュアスの話も扱われている.前4世紀のクセノポン『アナバシス』にも言及された古い物語だ.この後,敗れたマルシュアスは吊るされて生皮を剥がれことになる陰惨な話だが,思い上がりを抑え,神の恐ろしさを教える寓話であろう.
ペルジーノの弟子だったラファエロが監督した,ヴァティカン宮殿の「署名の間」の,モザイクのように見える天井フレスコ画(1510年前後),ティツィアーノの作品(1576年,チェコ共和国,クロミェルジーシュ国立美術館),フセペ・デ・リベーラの作品(1637年,ブリュッセル王立美術館)などが,この寓話を題材とした有名な画家の作品だ.ティエポロにも同主題の作品(1725年頃,ヴェネツィア,アカデミア美術館)があるし,他にもパルマ・イル・ジョーヴァネの作品(1/2)もあるようだ.
ペルジーノの作品は,この主題を扱ったルネサンス絵画として最古かどうかわからないが,いずれにせよ相当に古いと言うことがわかるし,牧歌的風景は,この物語の陰惨さを隠して,穏やかな作品に見える.それがこの題材を扱った画家として,ペルジーノの名誉になるのかどうかわからないが,物語を知ったうえで,この絵を見る人間としては,ホッとさせられる.
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写真:
ペルジーノ
「アポロンとマルシュアス」
1495年頃 |
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勝利の女神
古典を扱った作品は,ルーヴルでは枚挙に暇がない.いずれにせよ,そうした作品が描かれ,成長していった背景には,古代の優れた絵画や彫刻の発見と人文主義の影響がある.
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人文主義の発達にも,文芸や視覚芸術における古代作品の卓越性がその滋養となったことは論をまたない.
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発見は,19世紀も後半なので,人文主義,ルネサンス,古典主義,新古典主義より後の時代だが,私にとっては30年前に,ルーヴルで見て,その感銘が古典を勉強する契機の一つになったヘレニズム時代の傑作彫像「サモトラケのニケ」の存在は,今回,若干感動が薄れたとは言え,生涯忘れらないし,ルーヴルを訪れるたびに,その前に立ち続けることだろう.
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「サモトラケのニケ」
紀元前190年頃
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