フィレンツェだより |
フィレンツェの春 2007年 |
§日常の彼方から呼ぶ声あり
帰国したら,最初にしたいと思っていたことが幾つかあった.ヴァザーリの『画人伝』の日本語訳を眺めること,中嶋浩郎・しのぶご夫妻のご著書を読み返すこと,リルケの『フィレンツェだより』を読むこと,などだ. リルケの『フィレンツェだより』は森有正の訳だ.東大の助教授をやめ,フランスに渡って,そのままフランスに定住した20世紀後半を代表する思想家で,あとがきにもあるように,ドイツ語原典ではなくフランス語版からの重訳である. 固有名詞などもフランス語式の読み方になっており,名文家として名高い森にしては堅い「翻訳調」の文体だが,何ともいえない迫力があり,読ませる力がある.原文の良質さと翻訳家の力量が幸福に結合した稀有の例と言えるかも知れない. 中嶋ご夫妻のご著書はすばらしい.凡百のフィレンツェ紹介を越え,ご夫妻でなければ書けない内容に満ちている.鷺山郁子先生,中嶋先生ご夫妻と知り合えたことは,私の人生には大きな意味を持つように思える.この方々と,やはりお世話になった柳川さんの大きさを帰国後しみじみと感じている. ヴァザーリは実はまだ読んでいない.これからの楽しみだ.何と言っても日本語で読めるのは嬉しい.
![]() 実家の方にもフィレンツェから何箱か本を送っていたが,どれも無事届いていた.早速,箱から出して,書架に並べ始めた. 新たに置くスペースを作るために書棚の本を並び替えているとき,東京の大学時代と京都の大学院時代にそれぞれ見たイタリア・ルネサンス展のカタログが並んでいるのに気がついて,手にとってページをめくって驚いた.今回イタリアで初めて見て感動を覚えたように思っていた幾つかの作品は若い頃にすでに見ており,自分にとっての新発見だと思っていた画家の名前もそこにあった. ヴィターレ・ダ・ボローニャの今回見られなかった美しい絵は20数年前に見ていたはずだった.ポントルモの「受胎告知」もあったのには驚くばかりだ. これまで日本で見る機会があった作品は少なくないし,日本語でもかなりの情報が得られる.これまでにどんな作品を見,どんな情報を得ていたのかを自分の中で整理して,その上で,いつの日か今回イタリアの体験を反芻してみたい. 2度目の復活祭 フィレンツェ滞在時に話は戻るが,3月23日は,イタリアで2度目の復活祭(パスクァ)だった. 朝から気力十分なら,寓居の近くの格納庫から白い牛に引かれた屋台の「火車」(スコッピオ・デル・カッロ)が出てきて,白馬や仮装した人に伴われて行列が始まるのが見られたはずだ. この行列は,ボルゴ・オンニサンティを通り,シニョリーア広場から,ドゥオーモまで行く.その間に,様々なパフォーマンスがあり,その締めくくりとしてドゥオーモ広場で最大の見せ場を迎える.
広場に到着した「火車」から,何発もの花火とともに火炎が噴き出し,その間に,復活祭のミサが行われているドゥオーモの祭壇からは,普段はサンティ・アポストリ教会に保管されている,鳥の形をした金属の模型が,ワイヤーをつたって「火車」を目指して飛び,爆竹が爆発すると,鳥は再び祭壇に帰る. これがうまく行くかどうかによって,その年のフィレンツェの吉兆が占えると言われている.
しかし,連日の帰国準備で疲労していた私たちが,ようやく居合わせたのは最後のドゥオーモ広場だけで,この一連の行事はほとんど見ていない.クライマックスの場面も,大勢の巨人たちの間に埋もれてしまって殆ど見えなかった.
それでも昨年は,これらの行事が全て終わった後にドゥオーモ広場に行ったので,有名な行事の臨場感を味わえただけでも,2度目の復活祭は実りがあったと言えよう. そもそも1年の滞在で2度の復活祭を経験したのだから,巡り合わせが良かったと思って良いだろう.これは「復活祭」が「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」という移動祭日であることに起因する.昨年は4月8日だから,いかに移動祭日とはいえ,随分違う.
![]() 一緒に招かれていた友人は,勤勉にも朝から一連の行事をしっかり見ていて,デジカメに収められた写真を見せてもらったが,なるほど行列といい,「火車」と鳥の行事といい,大変立派なものだったことがわかる. 3月24日の復活祭の代休は,がんばって最後の荷造りをした.寒い日で,雹のような雪が降った.街中の雪は初めてだったと思う. パラティーナ美術館 3月25日からは再び文化週間で,国立の美術館,博物館が全て入場無料となるこの機会を利用して,最後の美術館訪問を企てた. サン・マルコ美術館,アカデミア美術館,ウフィッツィ美術館など,どこも魅力的だったが,直後に帰国の途につく私たちが厳しい日程の中で選択したのは,パラティーナ美術館のあるピッティ宮殿だ. パラティーナ美術館は5度目だが,そのうち3回は文化週間,2回はヨーロッパ文化遺産の日という,いずれも入場無料の日だった.昨年の文化週間は5月14日から20日までの期間だったので,今年は復活祭と同様に文化週間も,随分早い時期に開催されたことになる.おかげで,1年の滞在で2度目の恩恵にあずかることができた. 広大な敷地の中に複数の会場があるピッティ宮殿では,入場チケットを買う場合,セット券を選択しなくてはならない.パラティーナ美術館は近代美術館とセット券になり,ボーボリ庭園,銀器博物館,衣装博物館,陶磁器博物館が別のセット券になる. 今回は入場券無しで入れるので,宮殿内に入ってしまえばどこを見ても良いのだが,銀器博物館で17世紀フィレンツェの画家フランチェスコ・フリーニの特別展が開かれており,これを以前から見たいと思っていたので,その他はすべてあきらめ,パラティーナ美術館と銀器博物館に的を絞った. 銀器博物館は3度目だ.こちらは昨年4月にボーボリ庭園を見に行った時に,セット券の入場料を1度払って見ている. まず,パラティーナ美術館の方に行き,順路に従って,ボッティチェルリ,ラファエロ,ペルジーノ,フラ・バルトロメオ,デル・サルトなどフィレンツェでおなじみの芸術家たちの作品を比較的丁寧に鑑賞した. カラヴァッジョの「眠るキューピッド」は出張中で外されていたが,同じ画家の「マルタ騎士団長の肖像」は見ることができた. この美術館のカラヴァッジョ作品は,私の好みから言うと最良のものではないように思われるし,ヴェネツィア派やルーベンスも今一つで,何と言ってもフィレンツェ出身,もしくはフィレンツェで活躍した画家がすばらしい.ラファエロはウルビーノ出身で,主たる活躍の場所はローマだろうが,フィレンツェに所縁が深い.師匠のペルジーノもフィレンツェ出身ではないが,ペルージャだけでなくフィレンツェにも工房を持っていた. パラティーナには,このイタリア滞在中に私が好きになったジョッテスキや国際ゴシックの絵はないが,ルネサンス,マニエリスム,対抗宗教改革時代の絵画,カラヴァッジェスキの作品に関しては,フィレンツェ出身,もしくはフィレンツェ周辺で活躍した画家のものを中心に,実に見事なコレクションだと思う. 今回ヴォルテッラで傑作「キリスト降架」に感銘を受けたロッソ・フィオレンティーノの「玉座の聖母子と聖人たち」を改めて堪能した.ロッソの作品はこれ1点だけだが,師匠筋のデル・サルトの作品がたくさんあるパラティーナ美術館で見ると,気のせいかも知れないが,より鑑賞が深まるように思えた. 今回は,昨年3度訪問したときははいずれも閉鎖されていた一角が公開されていた.一昨年の旅行で来た際には,この一角も見ているのだが,当時の記憶は曖昧で,実質的には今回が初めてのようなものだ.ここではフィレンツェの対抗宗教改革時代の画家の作品を新たに何点も見ることができた. 銀器博物館,フリーニの特別展 念願のフランチェスコ・フリーニの特別展「もう一つの美」は,点数はそれほど多くないが,見応えのあるものだった. 銀器博物館として公開されている宮殿の壁には,もともとフリーニによって描かれた「ロレンツォ豪華王とカレッジのメディチ家別荘の思想家と詩人たち」(プラトン・アカデミー),「ロレンツォ豪華王の死の寓意」のフレスコ画がある.展示の仕方からみて,このフレスコ画があることで,銀器博物館が会場に選ばれたと推測された. 普段はパラティーナ美術館にある「ヒュラスとニンフたち」も展示されていた.後にラファエル前派などによっても取り上げられる,美少年を水の中に引きこむ,妖艶な裸体の女性たちが描かれている作品で,良くも悪くもフリーニというとこの絵が思い起こされる.
おぼろげな記憶をたどると,「マグダラのマリア」の絵は少なくとも2点あったが,どちらもウィーン美術史美術館の所蔵とのことで,1つは半裸で胸を露わにして,頬杖をつきながら沈思しており,もう一つは全裸の姿で腰部を長い髪で隠し,横座りのように岩に腰を下ろし,悔悟しているのだが,遠目には蠱惑的な姿に見える. ![]() パガーニはサンティ・ディ・ティートに入門し,チーゴリの工房にいたとのことだが,サンティ・ディ・ティートの師がブロンズィーノとされることもあり,一方チーゴリの師がブロンズィーノの弟子で甥で養子だったアレッサンドロ・アッローリなので,パガーニは2系統の師筋の両方でブロンズィーノに遡ることになる. ブロンズィーノの師匠がラファエッリーノ・デル・ガルボとポントルモで,ポントルモの師匠がアンドレア・デル・サルトとくると,フィレンツェの画壇を歴史的に縦断していて,やはり系譜をたどることには何がしかの意味があるように思われる. そうしたフィレンツェの系統と,マニエリスム,対抗宗教改革といった背景のほかに,この時代(17世紀前半)の画家として,カラヴァッジョやグイド・レーニの影響があるようだ.レーニの絵にも裸体画は少なくないが,これほどエロティシズムを前面に押し出した作品は,フィレンツェ,ローマ,ボローニャで多数見た絵の中には稀に思われる.
この日は,また別の画家の「マグダラのマリア」を見ることになった.ピッティ宮殿を辞した後,帰宅の道すがらサント・スピリト教会に寄ったからだ. サント・スピリト教会 フィレンツェに住み始めた最初の頃から,何度拝観を試みてもいつも閉まっており,それでもあきらめきれずに近くを通るたびに足を運び続けて,ようやく年を越してから拝観できるようになったサント・スピリト教会だが,今では,ツーリスト・インフォメーションで入手できるフィレンツェの美術館と教会の公開時間のパンフレットでも周知されているように,時間の確認を怠らなければ大体見られる. しかし,拝観者の整理にあたっているのがボランティアの方たちで,人手が十分ではないからだと思うが,時間帯によっては,後陣にあたる部分はロープで閉鎖されている. 数日前に,サント・スピリトに行った時,「No Flash」という貼紙を見て,ここはフラッシュを焚かなければ写真を撮って良いということがわかり,フィリピーノ・リッピの作品,伝ミケランジェロの磔刑像などの写真を撮らせてもらったが,この時も,私にとってサント・スピリトで最も関心があるマーゾ・ディ・バンコの「聖母子と聖人たち」のある後陣の一角はロープが張られていて,遠くからしか見ることができなかった. 帰国を目前にして,イタリアを去るにあたり,最後にサント・スピリトで,どこでも写真資料を見ることができなかったマーゾの「聖母子と聖人たち」をカメラに収められばと思い,教会に向かった. 後陣にあたる部分は,この日もロープが張られていて入れなかった.仕方なく,妻と2人で反対側の遠くの角から,ぶれないように工夫しながら最大ズームで撮影に挑戦した.夕陽のおかげで普段よりは光があったが,逆に反射する部分もあって,後で画像を確認すると,この環境でよくここまで撮れたと思うものもあったが,もちろん大満足というわけにはいかないものだった. 残念だったが,とりあえず一度は近くで見たし,撮影可とわかってからは,遠目だが2度も撮影に挑戦させてもらったので,最初の9カ月近く,全く「開かずの教会」であったことを思えば,マーゾの写真を遠目でも撮らせてもらえるまでに至ったことを心から感謝して,帰路につくことにした. そのとき,いつも姿を目にする長身の係員のお兄さんが,ロープをはずしてくれた.予期せぬ出来事に一瞬呆然としたが,近くにいた何人かは即座に後陣に入っていったので,入ってよいのだと確信し,脇目もふらず一直線に,マーゾの絵の前に立った.
帰国後,早稲田のその名も「ルネッサンス」という古本屋で買った文庫クセジュのフランソワーズ・ルロワ『中世イタリア絵画』には,マーゾを「色彩の詩人」と賞賛しており,その形容に関しては,サンタ・クローチェ教会のバルディ・ディ・ヴェルニオ礼拝堂のフレスコ画を見ていない私にはピンと来ないが,それにしてもマーゾがほめられるのは嬉しい. フィレンツェで,またイタリアで多くのものを見た.最後に見た芸術作品はマーゾ・ディ・バンコの「聖母子と聖人たち」で,すぐ近くで見ることができた.さらに写真に収めることができた. 帰国後,最初にアマゾンで注文した本が
だった.この本は,イタリア滞在中から日本のアマゾンで売っているのを見て欲しいと思っていた.日本のアマゾンで売っているくらいだから,英語版だと思っていたが,注文してから確認したらイタリア語の本だった.それほどマーゾが好きなら,この本を読んでイタリア語をしっかり勉強せよという神の声だろう.まだ「未発送」なので,手元に届いていないが,どんな写真が使われていて,どんな論考がなされているか楽しみだ. イタリア滞在で,幾つかの稀有の出会いをしたが,日本でも知られている大芸術家の作品には,今後も開眼する機会が様々あるものと思う. しかし,マーゾ・ディ・バンコとスピネッロ・アレティーノについては,もともとはジョット,フラ・アンジェリコ,フィリッポ・リッピですら,おぼろげにしか区別がつけられなかった私が,実物を見て感動し,そこから興味が広がっていった画家だ.チャンスがあれば,彼らについてはずっとフォローして,イタリア・ルネサンスを考えていく契機にしたいと思っている.
![]() 滞在の最後にあたり,これらをもう1度ずつ見るという選択肢もあった.サンタ・マリーア・ノヴェッラ教会は地理的に近かったし,サン・マルコ美術館とアカデミア美術館は国立なので,最後に無料でもう1度見ることができた. しかし,これらの大傑作は見ても見ても,尽きせぬものがあり,滞在の最後に見るには気力,体力の充実が十分ではなかったし,フィレンツェへの思いを残したいという気持ちもあって,これらをもう1度見るのは後日の楽しみとした. ![]() ジョットの作品でもパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂のフレスコ画は忘れがたいし,フラ・アンジェリコの「受胎告知」も,サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ,コルトーナで,サン・マルコのフレスコ画に次ぐと思われる板絵を2枚見た.ミケランジェロの作品もボローニャでも,ローマでも見ることができ,彼の現存する作品のかなりのものを見たことになる. ![]() ローマ,ミラノ,パレルモと言った大都市,ボローニャ,ヴェネツィア,シラクーザといった歴史ある町,アレッツォ,ピストイア,ルッカ,ラヴェンナ,ウルビーノ,フェッラーラといった珠玉の小都市,エンポリ,フィリーネ,サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ,コルトーナ,ヴォルテッラといったトスカーナの宝石のような小さな町々,ウンブリア州やプーリア州の風景と人々,本当にたくさんの感動に巡りあった.作品としても「受胎告知」,「聖母子」,「三王礼拝」,「最後の晩餐」,「キリスト磔刑」,「キリスト降架」などは山ほど見た. これだけの町を訪れ,今までの人生で見た芸術作品の何千倍もの数の絵画,彫刻,建築に接して,その上でなお,イタリアでもう1度見たいものを3つ挙げろと問われたら, 1位:サンタ・マリーア・ノヴェッラ教会のジョット「キリスト磔刑像」 2位:サン・マルコ旧修道院美術館のフラ・アンジェリコ「受胎告知」 3位:アカデミア美術館のミケランジェロ「ダヴィデ像」 と再び答えるだろう. フィレンツェはイタリアでも特別な空間に思える.行くまでのイメージと違い,ゴミゴミした街路,夏の暑さ,冬の寒さにはウンザリすることも少なくなかったが,何度も何度も行って,さらにもう1度滞在したいと思わされるのは,やはりフィレンツェだと思う.憧れのフィレンツェは愛するフィレンツェとなった.これからも何度も訪れることだろう. |
マーゾ・ディ・バンコ 「聖母子と聖人たち」 |
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