フィレンツェだより |
夕暮れのサン・フランチェスコ教会 (向田千能さん撮影) |
§アッシジの旅(その3) − サン・フランチェスコ聖堂,下部教会篇 −
向田さんのご希望もあったわけだが,それとは別に私自身も以前から,できればアッシジを訪ねてみたいと思っていた. アッシジへは,フォリーニョ行きのローカル線に乗ると,アレッツォ,コルトーナ,ペルージャを経由して乗り換え無しで行ける.日帰りもできないこともないと思ったが,駅から小高い丘の上にある町まではバスに乗る必要があるし,見るべきものも多いことを考えると,せめて1泊したほうが良いと考え直し,宿を取って,1泊2日の旅程を組んだ. 実際,駅に着いてから最初の拝観地サンタ・マリーア・デーリ・アンジェリ教会を見終えてバスに乗るまでに,3時間近くが経っていたので,もともと日帰りは無理だったように思う. アッシジの丘へ サンタ・マリーア・デーリ・アンジェリ教会の拝観を終えて,駅前からバスに乗った.坂を登りはじめてしばらくすると,サン・フランチェスコ教会と修道院の建物が見えてくる.丘の麓からも少し見えていたが,全体が見渡せるようになると,まるで巨大な要塞のようだ.近づくにつれて,丘を覆いつくすような石の量感が圧倒するように迫ってくる. イタリア統一広場でバスを降り,城壁の傍にあるウィンザー・サヴォイア・ホテルにチェックインした.荷物を置いて身軽になるとすぐに,サン・ピエトロ門から城壁の中に入った.エリア通りの坂を少し登るとサン・フランチェスコ聖堂の前の広場に出た. 聖堂は下部教会と上部教会に分れるが,広場から真っ直ぐの入口は下部教会の入口である.ジョットの有名な連作フレスコ画「聖フランチェスコの生涯」があるのは上部教会だが,まず下部教会から拝観を始めた. 「聖カタリナの礼拝堂」 下部教会は現役の祈りの場であり,全世界から信者が巡礼と礼拝に訪れる場所なので,拝観料はない.入り口からまっすぐ奥に見える「聖カタリナの礼拝堂」(カッペッラ・ディ・サンタ・カテリーナ)では,イタリア語ばかりでなく,英語やフランス語でも説教とお祈りが行われ,常に多くの信者が集っている. ここにも注目すべきフレスコ画,アンドレア・デ・バルトリ(アンドレア・ダ・ボローニャ)の「皇帝マクセンティウスの前の聖カタリナ」など一連の「アレクサンドリアの聖カタリナの物語」(14世紀)があるようだが,とても拝観できるような雰囲気ではなく,非信徒である私たちは遠慮せざるを得ない. 入口から聖カタリナ礼拝堂までの直線になっている空間は,上部教会ファサードの真下にあたり,この「入口の間」の部分をナルテックスと言い,日本語では拝廊と言うようだ. 上から見た場合にエジプト十字型の聖堂の,T型十字架の下部にあたる所が身廊で,通常2列の列柱があれば,身廊の両脇に側廊がある三廊形式ということになるが,フランチェスコ会の教会は多くの場合,側廊の無い単廊形式になっていることが多いようだ.そういう言い方がふさわしいかどうかは別にして,フランチェスコ会の教会の大本山とも言うべきアッシジのサン・フランチェスコ教会は,下部教会,上部教会とも単廊形式になっている. 「聖マルティヌスの礼拝堂」 身廊の両脇に側廊はないが幾つかの礼拝堂があり,中央祭壇に向かって左側には2つの礼拝堂がある. 手前の「聖マルティヌスの礼拝堂」(カッペッラ・ディ・サン・マルティーノ)にはフレスコ画の大傑作がある.作者はジョットではない.シエナの大芸術家シモーネ・マルティーニだ.彼の「聖マルティヌスの生涯」を,この礼拝堂で見ることができる. シモーネ・マルティーニは,シエナに行けば多くの作品を見られるようだが,フィレンツェではウフィッツィにある義弟リッポ・メンミとの共作トリプティク「受胎告知」を見ただけだ.ホーン美術館にも彼の板絵「聖母子とピエタのキリスト」があったらしいが,記憶にない. ウフィッツィの「受胎告知」は私の好きな作品だが,顔に特徴があり,人によって好みが分かれるだろう.いずれにせよ当時も巨匠と思われ,現在も高く評価されている画家である. この礼拝堂には,1ユーロを投ずると照明がついて,2人までイヤホンで解説を聞ける機械がついていたので,利用させてもらった.わかりやすい解説で,彼の個性的な自画像が描き込まれていること,マルティーニが礼拝堂を埋めたフレスコ画はこれ一つであることがなどがわかった.一番有名な「アミアンの城門で貧者に衣服を与える騎馬のマルティヌス」他,多くの場面が印象に残る.
この「聖マルティヌスの生涯」にはローマ皇帝ウァレンティニアヌス,ユリアヌスが描かれているので,この聖人が「背教者ユリアヌス」として知られる皇帝と同じ4世紀の人であることがわかる. サン・フランチェスコ聖堂のガイドブックに,ユリアヌスとマルティヌスの関係に神聖ローマ皇帝でシチリア王のフリートリッヒ2世と聖フランチェスコの対応関係が読み取れると解説してあったのがおもしろかった(Ferruccuo Canali, The Basilica of San Francesco in Assisi: Complete Guide for the Visit to the Upper and Lower Churches, Firenze: Boneschi, n.d., pp. 116-117). 「マグダラのマリアの礼拝堂」 右側の「マグダラのマリアの礼拝堂」(カペッラ・ディ・サンタ・マリーア・マッダレーナ)にはジョットと弟子たちによるフレスコ画「マグダラのマリアの生涯」がある.ここにも同じ解説の機械があったので,1ユーロを投入し,明かりの中で解説を聞きながら鑑賞した. ジョットの「マグダラのマリアと寄進者」は,マッダレーナが神々しい.多くの「マグダラのマリアの生涯」を描いたフレスコ画と共通の場面が一通りあり,いずれの場面でも彼女は金髪の波打つ長い髪の美しい女性として描かれている. このテーマのフレスコ画は,サンタ・クローチェ教会の聖具室でジョヴァンニ・ダ・ミラノの作品,同教会の美術館になっている修道院旧食堂でタッデーオ・ガッディの作品を見ている.
地下祭室(クリプタ) 身廊にある階段をおりると,地下祭室(クリプタ)がある.ここが聖フランチェスコと高弟たちの墓所だ.彼の柩が中央に置かれている. 死後ここに移され,それを祀るようにしてサン・フランチェスコ教会ができたわけだが,これもまた聖人の遺志に適ったことかどうかは疑問だが,彼に対する敬慕の気持ちの結晶と考えることにする. 「洗礼者ヨハネの礼拝堂」 身廊の奥に内陣があり,フレスコ画の傑作が壁を埋め尽くしている.まず祭壇の上に天井画があり,この作者はジョットその人とされることもあるようだが,概ねジョット派の「天井画の親方」とされることが多いようだ.4つの寓意的場面からなっていて,「清貧」,「貞潔」,「従順」,「フランチェスコの栄光」からなっている.素晴らしい作品だとは思うが,暗くて少しわかりにくい. 内陣の左の南側の翼廊には「洗礼者ヨハネの礼拝堂」(カペッラ・ディ・サン・ジョヴァンニ・バッティスタ)があり,ピエトロ・ロレンゼッティとアンブロージョ・ロレンゼッティ兄弟によるフレスコ画が見られる.彼らの作品はウフィッツィ美術館で複数見られるし,兄ピエトロの作品はアレッツォのサンタ・マリーア・デッレ・ピエーヴェ教会で多翼祭壇画「聖母子と聖人たち」を見ている. ホーン美術館の板絵「聖ベネディクト,聖カタリナ,聖マルガリタ」も彼の作品とされている.これは決して彼の実力を示す傑作とは思えないが,私たちがこれまでに撮った唯一の彼の作品の写真なので紹介する.
洗礼者ヨハネの礼拝堂のフレスコ画も,ほとんどがピエトロの作品とされ,どの解説書にもアンブロージョが描いたであろう箇所は指摘されていない. この礼拝堂の前面は東側の壁面から天井,西側の壁面までアーチ型になっていて,そこに描かれた「キリストとフランチェスコの生涯」は傑作で,中には「最後の晩餐」も見られるが,特に大きな「キリストの磔刑」の場面が見る人を圧倒する. ![]() ロレンゼッティの「最後の晩餐」は六角形の部屋で食卓を囲んでおり,ヨハネはキリストの左側もたれかかって眠っていて,ユダはキリストからパンをもらっている.部屋の入口で男女が話し込んでおり,左側の厨房には皿を洗っている男に若い男が話しかけており,その手前で犬が皿を舐めていて,さらに左前面では猫が体を丸めてすましている.協力者の作品とする説もあるそうだが,個性的な特徴ある「最後の晩餐」が見られて良かった. フィリーネの親方の作品 この礼拝堂から通じている聖具室にフィリーネの親方の「聖母子と聖フランチェスコ,聖キアラ」があるとガイドブックにはあったが,聖具室は公開されていなかった. 彼の印象的な「聖母子」は,フィリーネの宗教美術館でジョットの若い頃の「聖母子」とともに見せてもらったし,彼の作品と伝えられている,剥落が進んでほとんど絵柄を確認できないフレスコ画「聖オノフリオ」をフィレンツェのサンタンブロージョ教会で見ているが,その作品に触れるチャンスは多くない.聖具室の作品が見られないことを残念に思った.
急いで扉の前に行くと,開いた扉から,遠くの壁に聖母子の絵があるのが見えた.フィリーネの宗教美術館の「聖母子」に共通する特徴的な白さが目に入り,ジョットの影響を受けたこの親方の作品らしく堂々とした聖母子に思われ,目を凝らしてじっと見つめたが,扉はじきに閉められてしまった. チマブーエの「荘厳の聖母子と聖フランチェスコ」 右側の北翼廊にも傑作が溢れている.ジョットとその一派による作品がほとんどだが,シモーネ・マルティーニの「聖人たち」(フランチェスコ,トゥールーズのルイ,ハンガリーのエリザベト,キアラ,エルゼアリオ),「聖母子と聖人たち」(ステパノ,ラディスラス)もある.キアラが美しく描かれている.エルゼアリオとラディスラスは初めて聞く聖人でまだ調べがついていない.
チマブーエのフレスコ画は上部教会にもあるが,色落ち,剥落がはげしく,解説を読みながらかろうじて絵柄が確認できる程度で,下部教会にこれだけ保存状態の良い作品が残っているのは奇跡に近いのではないか. もちろん修復は何度もされているだろう.果たして原作者の描いた通りかどうか素人目には判断はつかないが,立派な作品だ.はっきり「ジョットのフレスコ画を見にアッシジに来た」と思っていた私がチマブーエの作品に心を奪われた. 聖母子,特に聖母が素晴らしいと思うが,右側にポツンと立っている,修道服の貧相な青年がフランチェスコだ.堂々たる聖人の姿のフランチェスコをフィレンツェその他で幾つも見てきた者からすると,このフランチェスコはもしかしたら彼の真実の姿に近いのではないかと思ってしまう.
この「荘厳の聖母子と聖フランチェスコ」が描かれたのは1280年代だそうで,さすがに作者がジョットの師匠だと制作年代も古いわけだが,それでも聖人の死後60年くらい経っている.
![]() 参考書の写真を見比べると,「殆ど同じ」は言い過ぎで,それぞれ個性があるようだが,前者はバローネ・ベルリンギエーリの作品でチマブーエの十字架とともに同教会にある数少ない13世紀の作品とされる.後者は作者の名前もわからない2人の親方による13世紀の作品とされている.親方のうちの一人はコッポ・ディ・マルコバルドかも知れないとされるので,13世紀を代表する芸術家の作品の可能性も残されている. ルッカに行く途中にペッシャという駅を通過する(ちなみに,ここはピノキオの作者コッローディのふるさとの近くで,彼はふるさとの名をペンネームにしている)が,ここのサン・フランチェスコ教会にはボナヴェントウーラ・ベルリンギエーリという作者のフレスコ画「聖フランチェスコの生涯」がある.
今ここで名前のあがった2人のベルリンギエーリがどういう関係か私にはまだわからないが,少なくともチマブーエが彼ら,もしくは彼らの影響を受けた作品を参照できた可能性はあるだろうから,彼の絵の迫真性も何らかの根拠を持っていると考えても良いかもしれない. 死後60年というのは写真の無い時代だから,相当の時間の経過だと考えられるが,サンタ・クローチェとピストイア市立美術館の板絵よりさらに貧相に見えるチマブーエのフランチェスコ像が私は好きだ.後の時代のフランチェスコ像は立派過ぎて,清貧の聖人を描いたものとしては説得力が乏しすぎる. 上部教会の「聖フランチェスコの生涯」にたどり着かないうちに,また話が長くなってしまった.ジョットの他に,マルティーニ,ロレンゼッティ,チマブーエの傑作に出会えた喜びを反芻しながら,「続きはまた明日」ということにしたい. |
夕刻 人影もまばらな聖堂前広場で |
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