『アエネイス』講読
(第1巻 23−33行)

テクスト
id metuens veterisque memor Saturnia belli,
prima quod ad Troiam pro caris gesserat Argis
(necdum etiam causae irarum saevique dolores  25
exciderant animo; manet alta mente repostum
iudicium Paridis spretaeque iniuria formae,
et genus invisum et rapti Ganymedis honores) ?
his accensa super, iactatos aequore toto
Troas, reliquias Danaum atque immitis Achilli,    30
arcebat longe Latio; multosque per annos
errabant, acti fatis, maria ominia circum.
tantae molis erat Romanam condere gentem.
                             (23-33行)

語彙
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 id:指示代名詞is, ea, id「それ」(とりあえず英語のhe, she, itと考えておく.ただし,全く同じではないし,男性名詞,女性名詞を受ければ,当然ながら男性形,女性形もitの意味になる)の中性・単数・対格.現在分詞metuensの目的語.
 metuens:第3活用第1形動詞metuo, metuere, metui, metutum「恐れる」の現在分詞・女性・単数・主格.動詞gesseratの主語である「サトゥルヌスの娘」の副詞的同格
 veterisque:第3変化形容詞vetus, veteris「古い,昔からの」の中性・単数・属格.「戦争」を修飾.それに+-que「そして,〜と」
 memor:第3変化形容詞memor, memoris「忘れない,〜を覚えている,執念深い」の女性・単数・主格.「サトゥルヌスの娘」を修飾.属格を支配するので,この場合「昔の戦争」がその目的語となる
 Saturnia:第1・第2変化形容詞Saturni-us, -a, -um「サトゥルヌスの」の女性・単数・主格.ここでは名詞化して「サトゥルヌスの娘」.ユピテル(ゼウス)の妻ユノー(ヘラ)は夫同様にサトゥルヌス(クロノス)の子で,親たちの世代(ティタン神族)を追放して世界を支配(オリュンポス神族)している.サトゥルヌスは元来ローマの農業神で,「鎌」がそのシンボルであり,この連想は父ウラノス(天空神)から王座を奪うときその男根を切り取ったというギリシア神話への連想を呼びクロノスと同一視された.ギリシア語のクロノスは「時間」を意味するクロノス(語頭の文字がカッパではなくキー)と音が似ていることから,ずっと後代になって時間の神(老人で鎌を持っている.鎌で時間を刈り取る)として図像化された.英語の土星(Saturn),土曜日(Saturday)もこの神にちなんでいる.ギリシア神話でも「クロノスの子」といえば主としてゼウス,「クロノスの娘」といえばヘラを指す.
 belli:第2変化・中性名詞bell-um, -i, n.「戦争」の単数・属格

24行 (テクストへ

 prima:第1・第2変化形容詞prim-us, -a, -um「第一の,最初の」の女性・単数・主格.「サトゥルヌスの娘」の副詞的同格.
 quod:関係代名詞の中性・単数・対格.先行詞は前行の「戦争」
 ad:対格支配の前置詞「〜へと」
 Troiam:第1変化・女性名詞Troi-a, -ae, f.「トロイア」の単数・対格
 pro:奪格支配の前置詞「〜のために」(英語のforとかなり意味的に重なる)
 caris:第1・第2変化形容詞car-us, -a, -um「愛しい」の男性・複数・奪格.「アルゴス」を修飾
 gesserat:第3活用第1形動詞gero, gerere, gessi, gestum「運ぶ,生み出す,遂行する(など)」の直説法・過去完了・3人称・単数(過去完了は完了語幹+sum動詞の未完了過去)
 Argis:この名詞は要注意(ただしもとはラテン語ではないので,出てきた時だけ注意すれば良い).単数では以下の形で中性名詞である.Arg-os, -i, n.「(ペロポネソス半島の都市)アルゴス」(したがって中性の原則により呼格と対格もArgosである)(このタイプのラテン語としてはvulg-us, -i, n.「群集,民衆」とvir-us, -i, n.「毒(日本語のウィルスの語源.ただしラテン語の「正しい」発音はウィールス)」がある.いずれも主格と対格が同形になることに気をつければ良いだけのこと(あと修飾する形容詞の形).しかし,この「アルゴス」は複数形は男性で,Arg-i, -orum, m. pl.となり,意味はやはり「(都市)アルゴス」となる.

25行 (テクストへ

 necdum:副詞「未だに(決して)〜ない」
 etiam:副詞「〜すら(も),〜も(また)」
 causae:第1変化・女性名詞caus-a, -ae, f.「理由,原因」の複数・主格
 irarum:第1変化・女性名詞ir-a, -ae, f.「怒り」の複数・属格
 saevique:第1・第2変化形容詞saev-us, -a, -um「残忍な,残酷な,凶暴な,野蛮な,恐ろしい」の男性・複数・主格.「嘆き」を修飾.+-que「そして,〜と」
 dolores:第3変化・男性名詞dolor, doloris, m.「痛み,苦痛,苦悩,苦しみ,悩み,嘆き,悲嘆,怒り,激怒」の複数・主格

26行 (テクストへ

 exiderant
  第3活用第1形動詞excido(エクスキドー), excidere, excidi(エクスキディー)(目的分詞形は無し)「落ちる,なくなる,忘れられる,免れる」の直説法・能動相・過去完了・3人称・複数.この動詞は自動詞で,他動詞であるexcido(エクスキードー),excidere(エクスキーデレ), excidi(エクスキーディー), excisum「切り落とす」と区別が必要.自動詞の方のもととなる動詞はcado, cadere, cecidi, casum(カドー,カデレ,ケキディー,カースム)「落ちる,死ぬ(など)」であり,他動詞のもとになった語はcaedo, caedere, cecidi, caesum(カエドー,カエデレ,ケキーディー,カエスム)「切り倒す,落とす,殺す,滅ぼす(など)」で,前者から派生した語から英語の「事件,場合」(case),後者から派生した語から英語の「・・殺し」にあたる「-cide」(自殺=suicideなど)が生じたことは感の良い人はすでにわかっているだろう.
 animo:第2変化・男性名詞anim-us, -i, m「魂,心」の単数・奪格.ここでは場所を示す前置詞in(+奪格)が省略された「場所の奪格」(詩的用法)と考える.「心において,心の中で」.しかし,与格と取る(「心にとって」利害の与格)のも捨てがたい.だが,奪格と取る方がここは素直だと思う
 manet:第2活用動詞maneo, manere, mansi, mansum「留まる」の直説法・能動相・現在・3人称・単数.主語は次行の「判定」だが,それと「と」で結ばれる他の主格の名詞「不正」,「種族」,「名誉」の動詞にもなっている(特に最後は複数だが,menet, manet, manet, manentとなって,最初だけが代表として残されたと考える).
 alta:第1・第2変化形容詞alt-us, -a, -u,「高い,深い」の女性・単数・奪格.「心」を修飾し「深い心」→「心の深み」→「心の奥底」と言う意味になる
 mente:第3変化・女性名詞mens, mentis, f.「心」の単数・奪格.前置詞in無しの「場所の奪格」→「心の奥で」
 repostum:第3活用第1形動詞repono, reponere, reposui, repostum「戻す,回復する,繰り返す,残す」の完了分詞・中性・単数・主格.次行の「判定,審判」と一致

27行 (テクストへ

 iudicium:第2変化・中性名詞iudici-um, -i, n.「判定,判決,審判」の単数・主格
 Paridis:第3変化・男性名詞Paris, Paridis「(トロイアの王子)パリス」の単数・属格.有名な「パリスの審判」.ヘスペリデスの黄金の林檎が「最も美しい女神」に与えられることになった時,ヘラ(ユノー),アテナ,アプロディテ(ウェヌス)の三女神がその判定をトロイアの王子パリスに委ね,イダの山でその審判が行われた.その際,ヘラは世界支配を,アテナはアテナイ(アテネ)の町を,アプロディテは世界一の美女をパリスに与える約束をし,彼は「世界一の美女」に引かれてアプロディテにその栄誉を与えた.その礼として彼は「世界一の美女」ヘレネを得たが,彼女がスパルタ王メネラオスの妻で,メネラオスは全ギリシアを指揮するアルゴス(ミュケナイ)王アガメムノンの弟であったことから,全ギリシア軍がトロイアに遠征する「トロイア戦争」の引き金となった.ホメロス『イリアス』以来,『アエネイス』に至るまで叙事詩的世界ではヘラ(ユノー)はトロイア人への敵対者の役割を果たすが,その理由の一つが「パリスの審判」とされている
 spretaeque:第3活用第1形動詞sperno, spernere, sprevi, spretum「除去する,拒絶する,侮蔑する」の完了分詞・女性・単数・属格.「姿」を修飾.+-que「そして,と」
 iniuria:第1変化・女性名詞iniuri-a, -ae, f.「危害,侮辱」の単数・主格
 formae:第1変化・女性名詞form-a, -ae, f.「姿,形,容姿,美,美貌」の単数・属格

28行 (テクストへ

 et:接続詞「そして,と」
 genus:第3変化・中性名詞genus, generis, n.「種族,種類」の単数・主格
 invisum:第2活用動詞invideo, invidere, invisi, invisum「嫌う,憎む」の完了分詞・中性・単数・主格.「種族」を修飾
 rapti:第3活用第2形動詞rapio, rapere, rapui, raptum「奪う,さらう」の完了分詞・男性・単数・属格.「ガニュメデス」を修飾
 Ganymedis:第3変化・男性名詞Ganymedes, Ganymedis, m.「(ゼウスにさらわれた,その稚児となったトロイアの王子で美少年の)カニュメデス」の単数・属格.ギリシアのゼウスはローマではユピテルで,その英語読みがジュピターだが,これは英語では「木星」の意味にもなる.木星の衛星ガニメデの名称はこの故事(?)にちなむ
 honores:第3変化・男性名詞honor, honoris, n.「名誉」の複数・主格.なぜ「名誉」かは,人間の身でありながら最高神ユピテルの側近く仕え,(あまたの美女をさしおいて)お酌をする境遇となったから.複数なのは単数では短・短の二音節だが,複数だと短・長・短の三音節となり,韻律上好都合だという理由によると思う.これをmetri causa(メトリー・カウサー)「韻律上の理由で」と称する.もちろん詩でよく使われる「単数の代わりの複数」(singular for plural)でもある

29行 (テクストへ

 his:指示代名詞hic, haec, hoc「これ」の中性・複数・奪格.「これら(以上)のことによって」
 accensa:第3活用第1形動詞accendo, accendere, accensi, accensum「火をつける,燃え立たせる,怒らせる」の完了分詞・女性・単数・主格.「サトゥルヌスの娘」に一致しているが,「これらのことに怒らされて」は「これらのことに怒って」と能動的に考えると良い(他動詞の受動=自動詞の能動)
 super:副詞「さらに,いっそう」
 iacatatos:第1活用動詞iacto, iactare, iactavi, iactatum「投げる,揺さぶる」の完了分詞・男性・複数・対格.「トロイア人」を修飾
 aequore:第3変化・中性名詞aequor, aequoris, n.「水平面,平面」の単数・奪格で,ここでは「海,海原」の意味で使われている
 toto:第1・第2変化形容詞(ただし単数・属格と与格で代名詞型)tot-us, -a, -umの中性・単数・奪格.「海原」を修飾

30行 (テクストへ

 Troas:ギリシア語形・第3変化名詞「トロイア人」Toros, Trois, c.(pl. Troes)の複数・対格.ギリシア語名詞の第3変化に関しての知識があれば,納得のいく形だが,そうでない場合は例外的な形と考えておく
 reliquias:複数形で使われる第1変化・女性名詞reliqui-ae, -arum, f. pl.「名残,遺跡,残存物」の複数・対格.この語の第1音節は通常短いが,韻律上長い音節である必要がある.古注家セルウィウスは詩人がこの語形において第1音節が長いと考えていた可能性を指摘している
 Danaum:複数で用いられる第2変化・男性名詞Dana-i, -orum (=-um)(かっこ内の古形の属格の方がよく使われ,この箇所でもそうである)「ダナオス人=ギリシア人」の複数・属格.ギリシア人は自ら「ギリシア人」とは言わず「ヘレネス」というのはよく知られているが,ホメロスではヘレネスでもなく,ダナオス人(ダナオイ),アカイア人(アカイオイ)と言われる.
 atque:接続詞「そして,〜と」
 immitis:第3変化形容詞immit-is, -e「厳しい,荒々しい,残酷な,容赦ない」の男性・単数・属格.「アキレウス」を修飾
 Acilli:第3変化・男性名詞Achill-es, -is,m.「アキレス(アキレウス)」の単数・属格Acillisの代わりに第2変化の単数・属格の類推からAchilliという形が使われたか,第3変化名詞なら単数・与格の形なので,属格の代わりに「所有の与格」(possessive dative)が使われているかどちらかと考えられるが,ここでは修飾している形容詞(単数・属格)との関係から前者と考えざるを得ない.

31行 (テクストへ

 arcebat:第2活用動詞arceo, arcere, arcui(目的分詞形なし)「閉ざす,妨げる」の直説法・能動相・未完了過去・3人称・単数.ここでは(〜遠いところにおいて)「近づかせない」の意で,未完了過去は「ずっとそうしきた」ことを示している
 longe:副詞「(遙か)遠く,遠くに,遠くで」(時間の意味にもなるが,ここでは空間的)
 Latio:第2変化・中性名詞Lati-um, -i, n.「ラティウム(地方)」の単数・奪格(分離の奪格:〜から)
 multosque:第1・第2変化形容詞mult-us, -a, -um「多くの」の男性・複数・対格.「年」を修飾.プラス-que(〜と)
 per:前置詞「〜を通じて,〜を通して,〜の間中ずっと」
 annos:第2変化・男性名詞ann-us, -i, m.「年」の複数・対格

32行 (テクストへ

 errabant:第1活用動詞erro, errare, erravi, erratum「迷う,さまよう,彷徨する,漂流する」の直説法・能動相・未完了過去・3人称・複数
 acti:第3変化第1形動詞ago, agere, egi,actum「導く,駆り立てる,振る舞う,行為する」の完了分詞・男性・複数・主格
 fatis:第2変化・中性名詞fat-um, -i, n.「運命,定め」の複数・奪格.
 maria:第3変化・中性名詞mare, maris, n,「海」の複数・対格
 omnia:第3変化形容詞omn-is, -e「すべての」の中性・複数・対格.「海」を修飾
 circum:元来副詞だが,対格名詞を支配して「〜のまわりに,周囲で,近くで」の意味になる.前置詞の後置はラテン語ではあり得る.

33行 (テクストへ

 tantae:第1・第2変化形容詞tant-us, -a, -um「これほどの」の女性・単数・属格
 molis:第3変化・女性名詞moles, molis, f.「大きな塊→困難,努力,労苦」.属格は主語の不定詞「建設すること」の補語になっていて,「〜に属していた(〜のもの)」→「〜を伴うことだった」という意味と解する(性質,属性の属格)
 erat:英語のbe動詞にあたるsum動詞の直説法・能動相・未完了過去・3人称・単数
 Romanam:第1・第2変化形容詞Roman-us, -a, -um「ローマの」の女性・単数・対格.「民族,種族」を修飾
 condere:第3活用第1形動詞condo, condere, condidi, conditum「建設する」の不定法・能動相・現在
 gentem:第3変化・女性名詞gens, gentis, f.「種族,一族,部族,民族」の単数・対格

(試訳)
このことを恐れ,また自らすすんで,愛しいギリシア人のためにトロイアへと
しかけた,いにしえの戦争を忘れることなく,サトゥルヌスの娘ユノーは
(御怒りの原因も,激しい憤りの念も,お心の中で未だに
消えてはいなかった.自らのお姿が不当にもないがしろにされた
パリスの審判が,何度も思い起こされて,心の奥にとどまっている.
憎むべきトロイアの一族,さらわれて名誉を得たあのガニュメデスもそうだ)
これらのことに御怒りはいっそう燃え立ち,大海原を漂っているトロイア人を,
ギリシア人と容赦を知らないアキレウスの殺戮を免れた者たちを,
遙かなラティウムの地に近づかせようとなさらなかった.長年に渡って
トロイア人は運命に駆り立てられて,すべての海をさまよい続けていたのだ.
ローマ民族の建国は,これほどの艱難辛苦を経た上でのことだったのだ.